わが自治会活動の軌跡(18)   町民主役の「まちづくりプラン」をどのような考え方・発想で進めようとしたか

 平成17年(2005年)4月、地域の神原町自治会長に就任して以来、毎月5日と20日の2回、「神原町自治会ニュース」を編集発行した。歳月が過ぎるのは早いもので15年が経った。
 わが町に「自治会ニュース」が創設発行されるようになってから、現在に至るも継続されて情報連絡紙として大きな役割を果たしている。
 「神原町自治会ニュース」を通じて、地域社会に生起する諸問題、自治会活動及び運営や地域の話題や町内で黙々と献身的に活躍する人々などを中心に、どのような問題に直面して、どのように対処したかを回顧してみたい。
 自治会・町内会の運営と活動は、時代、地域によって状況は様々であるが、共通するものがあるのではなかろうか。そうした視点からすると現在及び将来において、自治会・町内会の会長、副会長、会計の三役などの役員として活動される方々に参考になる点もあるのではなかろうかと思うものである。時代の進展とともに自分たちの住む町の自治会・町内会は常に新しい課題に直面しながら前進していくものであるからです。

 

❶ まちづくり委員会がいよいよ本格的に策案づくりの活動を始めました。

 平成17年(2005年)4月、第24代神原町自治会長に就任して、取り組んだ主要事業は、総会で議決された「平成17年度事業計画」に初めて盛られた、わが神原町の「まちづくりプラン」の策定でありました。

 この事業は、平成18年(2006年)4月1日に神原町誕生50周年を迎えるにあたり、わが町の50年、100年後のために、町民の英知を結集して、現在及び未来に役立つ基盤づくりとなる「まちづくり構想」を作ろうとするものでありました。

 理想は高くても、現実は厳しいものでした。わずか一部ではありましたが、こんなことは考えてきたがやらなかった。今までやってきたように行政に任しておけば良いとする反対もありました。まちづくりは自分たち住民が主役であるとの発想は、太平の世に波風を立たせる考えであるとの声もあり、現状でよし、そのままそっとしてほしいという意見もありました。

  こうした意見もあり、あらかじめ基本構想について、自治通常総会の議決を経て活動を始めましたが、愛町心からそのままでもよしとする当時流行り言葉の守旧派とも言える町民の声が少数とはいえ立ち消えしませんでした。

 当時の以下の記事はこうしたこともあり、まちづくりの必要性と意義について、情熱を傾けて町民の皆様へ周知を図る努力をしたことが読み取れます。

 どの時代も、組織もそうではありますが、総会で信任された代表たる会長の役割は、議決事項を断固としてやり遂げる強い意志と実行力が求められます。私たちの住む町をよくしたいと策案を持ち寄った多数の委員が毎回土曜の夜、神原会館に参集して熱心に研究討議をした日々が鮮明に思い出されます。

 私の一番の狙いは、自治会が中心となって、自分たちの町は自分たちが主役となってまちづくりをするという考え方や発想を根付かせたいということでした。当たり前のことを当たり前に推進するということです。今もその考えは脈々と歴代の自治会長はじめ役員の皆さん、町民の皆さんの心の中に生きているものと確信しております。

 その後の自治会の年度事業報告を再読してみますと、「まちづくり構想」の理念に立って歴代の自治会長の先進性のある指導力と実行力のもと、役員が結束して素晴らしい事業実績が積み上げられております。このまちが住みよく明るい町である理由がここにあるように思います。今や神原町は、若い人が増えますます発展する町ととなってまいりました。

自治会ニュースNO18の主要記事

○ 第3回のまちづくり委員会

 第3回のまちづくり委員会は、2月5日(日)32名の委員が集まり、各担当部会に分かれて話し合いを始めました。

 今までは総論で、調査結果の報告・処理に関するものが主体でしたが、今回から各委員が中心に話し合いを始めました。

 あいにく委員の出席が悪く、部会によっては入り口で終わったり、かなり突っ込んで話が進んだりとさまざまでした。
△ 大事業を成し遂げた町   

神原町は、まちづくりについて、自治会の法人化、神原会館の建設等大事業を幾度か成し遂げた歴史を持つ町です。今回のまちづくり計画は、その性格上、全町民の意見を広く調査し集約する。できる限り多くの各分野を代表す方々に委員になっていただき、幅広く意見を取り上げ話し合うことにしました。時間が無駄、そんな暇はないとの声も聞かれますが、効率・時間・暇を乗り越え、あえて話し合いの段階は特定の少数制を避けました。大筋が決まり、草案づくりの段階では少人数で作業することになります。
△ 町民主役・発想の計画  

○まちづくの計画と聞いて、金も力もないのに、とてつもない事業だ、行政のやることを何で町民がやるのだ、会長名で要望書を市長へ提出し任せておいたらどうかと思っておられる方は多いと思います。時代は大きく変わってきています。まちづくりは町民が主役で発想し、自分たちが主導して行政と一緒にやる協働時代になってきました。町民主役で行政の力を大いに活用する時代です。
○確かに神原町の50年、100年先に思いをはせて、まちづくりの計画を作ることは容易ではなく、難しいことばかりです。今まで幾代にわたり多くの方が努力されて、なおかつ困難とされてきたものばかりです。

 しかし、最初から困難だからとあきらめ、時の流れに任せ、井戸端会議的な議論だけで終わってよいでしょうか。今すぐ実現できなくても将来の神原町に夢を托せるプランはできないでしょうか。約1300名の町民が力を合せれば何かが生み出せるのではないでしょうか。作り上げた計画を土台・踏み台にして毎年努力し一つでも実現し、10年単位で見直し、さらに積み上げ、次世代につなげていけないでしょうか。
△ 困難に挑戦するまちづくり  

○私たちのまちづくりは、現在通常のやり方で進めておりますが、都市計画法を基にしたまちづくりに挑戦している町は浜松市に多くあります。2月14日の新聞は、高さ制限などを盛り込んだ独自の地区計画を作成した住民組織『蜆塚1丁目南部まちづくり協議会』(約300世帯)が署名活動で8割の住民の同意を得て地区計画案を市に提出し、条例化を目指すと大きく報じていました。高層マンションの建設計画に対して都市計画法に基づく市三条例を基に協議会を立ち上げた蜆塚町は市のまちづくりセンタ-などの支援を受けて活動開始から4年で計画案を作成しています。
(私たちが進めているまちづくりは、内容的にも蜆塚町の例とは異なりますが、将来、調整区域の変更等により建物等の規制が必要となる場合、状況により協議会の立ち上げを必要とします。)
△ 共通の目標へ向かって協力 

自治会を中心として町民が主役となり、全町民の総意で神原町まちづくり計画を持つということは、すばらしいことではないでしょうか。どんな内容であれ、町民の圧倒的多数の要望のあった多目的広場や下水道の設置等々が幅広く盛り込まれ、実現を目指して努力できないでしょうか。

 毎年重点目標を決めて、根気よく全町民が協力しあって努力することが、実現の喜びと共に町民相互の理解を深め、連帯を強め、明るい住みよい町づくりに結びつくのではないでしょうか。
△ おなたも部会に参加しませんか!  

○町民の皆様の中で、ご希望の部会に参加してみようという方は会長までご連絡ください。 

○4月から自治会新部長、各団体の新三役にも新たに加わっていただく予定です。

○委員の方で、都合により辞退される方は、会長までご連絡ください。

❷ 神原町の成り立ち ル-ツ゚を探る

その1の要約  

 昭和30年3月31日、浜名郡神久呂村は浜松市に合併することとなり、同年4月1日、神久呂村は神ヶ谷町、神原町、西山町、大久保町に分割して現在の四つの町が誕生しました。
△ 神原集落の誕生  

 神原日記帳の第1ぺ-ジの始まりは、「昭和23年2月23日中組からの分離下準備」と記されています。神原町の前身・神久呂村の時代には神ヶ谷区の集落中組に属していましたが、いろいろな事情があって23年2月23日中組からの分離下準備を始め、同年4月1日に神ヶ谷区神原集落を組織しました。初代の集落長は池谷喜太郎氏でした。
△ 神原集落の母体   

 神原集落の母体となった当時の単位は、雨溜、奥一、奥二、原山、北神の5個であり、戸数は農協出資名簿で数えてみますと昭和23年3月の時点で48戸、同年4月1日の神原集落結成時に1戸加わり49戸となりました。今風 に言うと、五つの班で成り立ち、雨溜10戸組と記されているように、1個班が10戸前後だったようです。
△ どんな集落だったか? 

 当時の名簿を使って、地図に書き入れたり、写真を加えて復元すれば、約60年前の昔の神原を再現することができます。先祖のおじいちゃんの名前が出てきてどんな暮らしぶりだったか、皆でどのように力を合せて今日の神原町の母体を作り上げていったのか知りたいものです。
子どもたちにこんな作業をさせたらどんなものができるでしょうか。
△ コミュニティ(共同体)の原点   

 神原日記帳には、昭和23年2月23日、25日に5個の班から計510円集金したこと、3月2日には元飛行場よりガラ運搬に牛車11台を出して道路修繕に全員一日作業したこと、一週間後の3月10日には牛車所有者を除く外全員が半日手直ししたこと、3月14日には土地協力調委員を五つの単位から各2名選出したことが記録されています。行間にまちづくりに努力した先人の姿が浮かんできます。
 

❸ 会長の一言

△ まちづくりで委員の集まりが少ないとお叱りを受けました。まちづくりは全町民で作り上げるものです。必ずや委員の皆様全員が本当に自分の町をよくしよう、発展させようと言う気になっていただけると信じます。あせらずじっくり、一方やると決まれば、すばやく対処していきます。

△ひとつでも次世代に残せる、誇れるものをぜひ神原町に築き上げたいものです。今や町民主役の時代です。先ず町民の発想で、提言し行政には支援してもらう時代です。一人でも多くの方が参加し、将来に夢のある計画を作ることが出発点ではないでしょうか。

 

神原町自治会ニュ-ス No18   平成18年2月20日

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