2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和の航空自衛隊の思い出(175 ) 上級司令部の幕僚勤務

1.上級司令部人事幕僚の修練 昭和48年7月から2年間西部航空方面隊司令部における人事幕僚としての勤務は、総じて人事幕僚の練成一途の毎日であった。人事業務の対象人員・業務処理量・上下左右の幕僚調整は飛躍的に多く、新しいことへの挑戦と経験の連続…

浜ちゃん日記  2015写真展浜松フォ-トフェスティバルと出展

浜松写真連絡協議会主催の「2015写真展浜松フォ-トフェスティバル」が明日8月31日(月)から9月6日(日)まで、浜松市中区クリエ-トで開催される。 数年前から東部写楽会に属し、毎月1回写真の勉強をしていることから浜松市写真連絡協議会の会員に入れて…

昭和の航空自衛隊の思い出(174 ) 春日原の魚市と太宰府天満宮・梅ケ枝餅

1.春日市春日原の魚市 昭和48年7月から2年間西部航空方面隊司令部勤務において大野城市の筒井官舎に住んだ。毎週末には家内と一緒に近くの西鉄の春日原駅付近(多分?)に立つ魚市に出かけると新鮮な魚が安く買えた。1箱何ぼといったたぐいで産地直送でと…

神原町花の会・花美原会 (154 )  揺れるコスモス秋摘み取っての報道

8月29日早朝コスモス花畑の様子を見に出かけた。花畑の状況を一巡してから小雨が降りだした。からりと晴れた一日を期待したいが、降ったり止んだりの不安定な天気のようだ。一喜一憂しないこと、花の人生も人間の人生もまた同じようなものである。待てば…

昭和の航空自衛隊の思い出(173 )  勤務地のお酒文化を楽しむ

1.焼酎中心の宴会 昭和48年7月、西部航空方面隊司令部に着任して、ほどなく、歓迎会が行われた。恒例の乾杯はビ-ルであったが、その後の酒盛りは焼酎のお湯割りが基本であった。お酒といえば焼酎で、日本酒が出るかと思っていたら、お酒=焼酎であった…

神原町花の会・花美原会 (152 )  豪雨に勝てないコスモス

本朝未明の豪雨は、叩き付けるような強い雨であった。コスモス畑の方は被害の状況は花がうなだれた状態であるがこれは自然の摂理でどうしょうもない。8時半ごろまで小雨が続いたが、やんだようだ。 本日からコスモス畑の三分の二を、花摘みができるよう解放…

神原町花の会・花美原会 (153 )  咲き始めたコスモス花畑の報道

静岡新聞 8月28日朝刊(転載) コスモス咲き始め 早くも秋の気配 浜松市西区 咲き始めたコスモス=浜松市西区神原町 浜松市西区神原町の地元住民有志の「神原町花の会」(浜田喜己代表)が管理する花畑で、コスモスが咲き始め、早くも秋の気配を感じさせ…

神原町花の会・花美原会 (151 )  コスモスへの応急処置

8月27日午前8時から約1時間10分コスモス畑の倒れたコスモス起こしを行った。急なことで会員5名が集まり、衣服は水滴でびっしょり、靴は泥んこになった。 協同活動の応急的処置ではあるが、コスモスライン間は何とか補正し通路ができた。一息ついたら今度…

神原町花の会・花美原会 (150 )  無情の強風に揺らいだコスモス

強い台風15号は、8月25日、熊本県に上陸して九州を縦断し、九州や中四国などで暴風や大雨となって相当な被害が出た。当地浜松も昨夜の強風は台風並みであった。朝方コスモスの被害状況を確認するためコスモス畑を訪れて自然界の脅威に驚いた。昨日はコスモ…

昭和の航空自衛隊の思い出(172 ) 西部航空方面隊司令部における人事幕僚勤務

編集 1.准尉・空曹・ 空士の人事業務 と上下の期待 西部航空方面隊司令部勤務になるまでは、主として群レベルの幕僚勤務であった。その職務は、中部航空警戒管制団の整備補給群本部総務人事班長1年6月、基地業務群本部人事班長2年及び団司令部での若干の…

昭和の航空自衛隊の思い出(171 ) 西部航空方面隊司令部勤務

1.その時何を考え立ち向かったか 「昭和の航空自衛隊の思い出」は、昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関及び団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人…

神原町花の会・花美原会 (149 ) コスモスの花摘み解放

浜松市神原町の「神原町花の会(花美原会 )」の管理する「花と緑いっぱい区域」は、メインの花畑と花壇22個から成っている。 コスモスも4分咲きとなり、今月28日ごろには8分咲ぐらいにはなるものと予想している。長期の日照り続きであったが、開花は…

隊友会活動(19) 静岡県隊友会支部合同研修

1.東部担当の合同研修 静岡県隊友会支部合同研修が8月21日~22日1泊2日の日程で行われた。この研修会は、各年度ごと東部・中部・西部の協地区協議会が持ち回りで担当し、実施しているものである 今年は東部の担当で御殿場支部が中心となって開催運営された…

神原町花の会・花美原会 (148 ) オ-プンガ-デンの看板

神原町花の会(花美原会)の管理する「花と緑いっぱい区域」は花壇と花畑から成り立っており、「浜松花と緑の庭めぐり」にオ-プンガ-デンとして掲載されています。 今回、正面の入り口の看板を新しいものをいただいたので従前のものと入れ替えました。古い…

神原町シニアクラブ(51)  仲間づくりの活動

自治会では、地域の「敬老会」の案内が行われる。わがシニアクラブの仲間づくり活動の一環として、敬老会の招待状と一緒に小紙を入れてもらうことにした。一人でも多くの仲間を作りたいとの思いである。 一片の小紙なとたかがしれている。どのような成果・結…

がんとの闘い(51)    やりたいことを思い切りやり遂げる

編集 1.がん発病と治療の経過 病院において膀胱がんの定期診察を受けた。先週はCT検査、尿と血液検査、本日の膀胱鏡によっても再発、転移がないとの診断結果であった。 膀胱がんの経過を見ると、次の通りであるが、日常的には普通の生活を継続しており、…

浜ちゃん日記  健康管理と現代医学

1.カテ-テルアブレ-ションとホルタ-心電図 70歳を過ぎたころであるが、坂道を登ったり、負荷のかかる農作業をしているとき身体の不調を感じたので、医師の診断治療を受けたところ不整脈が認められた。 主治医の勧めで、カテ-テルアブレ-ション(心…

浜ちゃん日記  バランスのとれた感覚で物を見る

1.老いることの実感 80歳だからこの辺でやめておこうと自ら挑戦を抑制をすることがある。確かに身体的能力は目に見えるように低下してきた。がんという大病を患いながらも一命を保っている。間もなく半年後の定期の精密検査がやってくる。 わが家の日常…

神原町花の会・花美原会 (147 ) 花畑の朝夕の見守り

1.花畑の朝夕の見守り 今朝も花畑の様子を見守りにいってきた。毎日散歩を兼ねての見守りである。最近は種を付けたもので採取できるものはその都度、丹念に採集をしている。次年度に活用することにしているからだ。採集には多少時間はかかるが手指の運動と…

浜ちゃん日記  8月15日という日

1.戦没者を追悼し平和を 祈念する日 8月15日は、 昭和20年(1945)8月15日に、大東亜戦争が終結した日である。昭和57年(1982)には、この日を「戦没者を追悼し平和を 祈念する日」とすることが閣議決定された。新聞等では「終戦の日」と一般的に使って…

浜ちゃん日記  お盆と盆義理

編集 1. 初盆と盆義理 お盆でわが家は、子供家族がやってきてにぎわっている。孫たちが揃うと恵比須顔になるものだ。お寺やお墓参りにも連れていった。今はどんな意味をもつか分からなくてもよい。そのうちに分かるようになるからだ。 遠州地方では初盆を迎…

昭和の航空自衛隊の思い出(170 ) 新任地第一夜は水害に出合う

昭和48年7月、指揮幕僚課程を卒業して、初度の配置先は西部航空方面隊司令部勤務となり、大野城市筒井にある官舎に到着した。住民登録もし、その日のうちに引っ越し荷物を運びこんで第一夜を迎えた。その夜は集中豪雨に見舞われ、近くの河川が増水で氾濫…

昭和の航空自衛隊の思い出(166 ) 忘れ難い一声「博多のもんじゃけん」

全国各地を転勤した中で数々の忘れ難い出来事がある。その一つにその「土地の人情」に触れた時である。 昭和48年7月14日、第21期指揮幕僚課程を修了し、7月16日西部航空方面隊司令部勤務を命じられた。転居に伴う家具家財は、引越トラックコンテナ…

浜ちゃん日記  笑顔のある生活

ここ2ヶ月ほど手がけた航空自衛隊第1期操縦学生入隊60周年記念大会に関する同期生会報のまとめが完了することになった。ぺ-ジ数にして約90ぺ-ジほどになる。カラ-写真を主体にして編集した。80歳傘・傘寿ともなるとどんなに元気なものでもどこか…

神原町シニアクラブ(50)  熱中症対策をした定例会等

今日は午前シニアクラブのグラウンドゴルフ、午後は定例会に参加した。グラウンドゴルフときたら暑いこと、この神原地区はここの所全く降雨がなく乾燥しきった状態であるが、参加率は普段と変わらなかった。お盆を控え諸事で忙しい人を除いて、猛暑にかかわ…

昭和の航空自衛隊の思い出(165 ) 島田航一元総隊司令官の幕僚準則

1. 幹部自衛官として指揮及び幕僚業務はいかにあるべきか 昭和30年6月戦後初の航空自衛隊第1期操縦学生207名の1人として幹部学校(同年9月編制改正に伴い操縦学生隊は幹部候補生学校に所属となる。)に入隊・入校した。初代の幹部学校長は島田航一将補…

昭和の航空自衛隊の思い出(164 ) 指揮幕僚課程と昇任

1.指揮幕僚課程卒業者の人事管理 昭和48年7月一年間の指揮幕僚課程を修了し、各級司令部及び航空幕僚監部等を勤務した。一般的に世間一般では、CSを卒業したたら「〇〇まで昇任間違いない」、「昇任が早い」といったことがささやかれていた。しかし、…

昭和の航空自衛隊の思い出(163) 指揮幕僚課程で得たもの

1.創造力の練磨と論理的思考の向上 指揮幕僚課程で学んだものは、課程の目的である上級指揮官及び幕僚としての資質のかん養及び基礎的な識能の向上を図ることにあった。当然に1か年の教育で指揮官道・幕僚道の理念の確立、軍事能力特に戦術能力の向上、…

昭和の航空自衛隊の思い出(162) 指揮幕僚課程の卒業式・祝宴と夜の卒業式

1.妻も招待された晴れの卒業式 昭和48年7月一年間の勉学を終えて晴れて卒業式を迎えた。岩崎亭学校長からは配偶者に対して招待状が渡された。一年間の家族の苦労を称えるとともに卒業の喜びを分かち合うものであった。子どもの世話は託児所を設けるなど…

昭和の航空自衛隊の思い出(161) 指揮幕僚課程における戦術応用研究演習及び総合図演

1.戦術応用研究演習 昭和47年7月に入校した指揮幕僚課程も、基礎研究から各種の事例研究を経て48年3月~5月の間、第1次、2次と戦術応用研究演習を行った。 学校の総力を挙げての研究演習で、第1次は、「航空作戦における各種行動に関する状況判…