2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

浜松鳥取県人会(因伯会)(9) 故郷に思いを馳せて集う

昨日2月28日(日) 午前11時30分から 浜松鳥取県人会(因伯会)が浜松駅付近のプレスタワ-15階21世紀倶楽部において開かれた。 来賓は、鳥取県名古屋代表部部長門脇誠司氏・東海鳥取県人会会長可世木博氏・島根県人会副会長村井弘之氏及び島根県人会…

昭和の航空自衛隊の思い出(248) 人事幹部課程学生(2)

昭和56年8月、第3術科学校第4科長として着任したときの人事幹部課程は創設から数えて55 期であった。昭和30年から26年の歳月を経ていた。 自分を含めて多くの先輩・後輩がこの課程を巣立っていったことに想いを馳せる時、先人の業績に恥じない勤務をし…

昭和の航空自衛隊の思い出(247) 人事幹部課程(1)

昭和56年8月、第3術科学校第4科長として着任したときの人事幹部課程は創設から数えて55 期であった。昭和30年から26年の歳月を経ていた。 自分を含めて多くの先輩・後輩がこの課程を巣立っていったことに想いを馳せる時、先人の業績に恥じない勤務をし…

昭和の航空自衛隊の思い出(246) 術科教育における「教官職」について

航空自衛隊における術科教育の「教官職」について、昭和57年5月、空幕主催の人事部長等会議に出席した直後、第3術科学校第4科長として、第4科教官全員に話をした内容を記録したものです。 まず、全国の人事部長等会議に術科学校の一介の科長が参加したこと…

神原町花の会(花美原会)(180) まちなかの花ラインづくり懲りない挑戦

花と緑いっぱい活動の中で、神原町健康広場の柵沿いに前列にポピー、後列に菜の花を咲かせたいと昨年11月種を蒔き育てている。石と砂利混じりの土壌ではあるが、寒風に負けずに何とか育っている。 昨年は大輪のヒマワリの花ラインを描いたが徒労に終わっ…

浜ちゃん日記 浜松市花川運動公園の桜と散策

2月23日午後、浜松市中区西丘町にある花川運動公園を散策した。前日午後、神原町花の会の花畑の看板の修理や花壇の草取りをしていたら、町内の知人から「今、花川運動公園の桜を観ているがすばらしいですよ」と携帯に電話が入った。遠いところの花だよりに…

昭和の航空自衛隊の思い出(245) 人事幹部課程の歩み

昭和63年10月現在、当時における「人事幹部課程の歩み」はつぎのとおりであった。 1. 人事幹部課程の歩み 《 時代の推移と共に実務訓練は廃止され、総務通信教育、空曹要務特修課程が設置された。》 2.人事幹部課程の概要 3.人事幹部課程修了者 《 昭…

昭和の航空自衛隊の思い出(244) 教育技術講話(7 ) 「心に残る身につく教育」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育…

昭和の航空自衛隊の思い出(243) 教育技術講話(6 ) 「十を知って、三つを教えよ」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育…

昭和の航空自衛隊の思い出(242) 教育技術講話(5 ) 「ツボを押さえ、コツを教えよ」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教…

昭和の航空自衛隊の思い出(241) 教育技術講話(4 ) 「教育に対する情熱・意欲と喜び」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教…

神原町花の会(花美原会)(180)   浜松市公共花壇フォ-ラム

1. 浜松市公共花壇フォ-ラム 2月16日、浜松市と浜松市花と緑の連絡協議会主催の「浜松市公共花壇フォ-ラム」に代表の私と、副代表の鈴木たか夫妻の三人で参加した。 昨年も参加したが、特に講師ガ-デンデザイナ-徳原真人氏の基調講演「公共花壇と花のまち…

昭和の航空自衛隊の思い出(240) 教育技術講話(3 ) 「優れたドラマ(授業)作り」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育…

昭和の航空自衛隊の思い出(239) 教育技術講話(2 ) 「啐琢(そつたく)」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教…

80歳老いる雑感(4) 最後を家で看取られたいか

1. 様々な人生の最後の有り様 この間新聞を読んでいたら高齢者の約8割が養護施設等で最後を迎えているように理解した。 近所で、過日なくなった方は自宅暮らし、具合が悪くなった時だけ入院したりして最後家族に看取られながら永眠された。 またあるテレビ番…

神原町花の会(花美原会)(179) 冬来たりなば春遠からじ

神原町花の会の管理する花畑は、今の時期は協同活動を休止し、春の来るのを待っている。寒風にさらされ、花も人間と同じようにじっと耐えているが、一雨ごとに動きが見られる。今朝も雨が降り続いている。冬来たりなば春遠からじだ。 《 平成28年2月14日、…

浜ちゃん日記  地域の子供たちの健やかな成長を願う

1.久呂中学校区青少年健全育成会 2月13日午前、平成27年度第2回神久呂中学校区青少年健全育成会(神久呂をよくする会)総会が神久呂協働センタ-で開かれ、シニアクラブの代表として参加した。 この会には、約16年ほど前の自治会副会長当時から関ってき…

昭和の航空自衛隊の思い出(238) 教育技術講話(1) 「基本を学ぶ・守破離」

1.教育担当第4科長として学生に語りかけた短い講話 昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任…

昭和の航空自衛隊の思い出(237) 第3術科学校教育担当第4科長の職務(2)

1. 抱負・目標に向けての継続努力 昭和56年8月17日付で 、第3術科学校勤務となり、第1教育部第4科長に指定され、人事総務教育、上級空曹要務及び教育技術を担当した。 着任早々の私にとって、最大の厳しい試練は、待ったなしで、第4科を率いて、第3術科学…

浜ちゃん日記  建国記念の日奉祝行事に参加して

1. 祝賀行事の運営支援 2月11日は建国記念の日、第32回浜松市建国の日奉祝行事に参加した。この奉祝行事は、浜松市建国記念の日奉祝運営委員会の主催によるもので、私の属する浜松防衛団体連合会、隊友会浜松支部、浜松つばさ会及びシニアクラブ浜松市も…

昭和の航空自衛隊の思い出( 236 ) 第3術科学校教育担当第4科長の職務(1)

1. 着任にあたり抱負をもった背景 昭和56年8月17日付、第3術科学校勤務となり、第1教育部第4科長に指定された。着任にあたって、担当する人事総務教育、上級空曹要務及び教育技術に関して、次のようなことから第4科長としての抱負・目標を持つた。 初…

80歳老いる雑感(3) 今日は今日のためにある

1. 何事も回答・返信などはその日に行う 老いていく一つに、今日やっておけば良かった事を、明日でもよかろうと先延ばしにした場合に、翌日になったら昨日のことをすっかり忘れてしまうことがある。 特に、会合などの案内は、自分の予定を調べればすぐに出欠…

80歳老いる雑感(2) 老化現象をどのように受け止めるか

1. 歳をとれば徐々に老いたい 太古の時代から不老長寿で病気をしない薬を求めた気持ちが良くわかるようになってきた。 人は自分の意思に関係なく歳を重ねてくる。歳をとれば少しづつ体力は衰え気力は萎えてくる。当然のごとく様々な病を患うこともあるから…

浜ちゃん日記 地域おもしろ体験「相撲甚句とドジョウすくい等」

去る2月5日午前、神久呂協働センター(神田所長)主催の「地域体験セミナー・相撲甚句・歌舞伎三味線・ドジョウすくい」に参加した。 若いころから、相撲甚句についてはかなり関心があって、覚えたいと思いテ-プを購入して練習したころがあった。ドジョウす…

昭和の航空自衛隊の思い出(235) 第3術科学校の概要

昭和56年8月17日飛行教育集団司令部から第3術科学校へ転任した。配置は第1教育部第4科長(2佐職)であった。後継者の術科教育はいつの日かやってみたいと思っていた職務であり、大いなる夢を持って着任した。 1 主任務 第3術科学校は、芦屋基地運営のための…

80歳老いる雑感(1) 親の寿命を越えられるか

1. 身近な人の急逝に接して 先日、自衛隊時代の同期生松山弘君の訃報に接した。昭和30年6月航空自衛隊のパイロットを目指し第1期操縦学生として、周防の国は防府南基地において、粗末な薄暗い教室で肩を並べて厳しい教育訓練に励んだこと、一緒に外出し…

昭和の航空自衛隊の思い出(234)  資料作成と部下隊員の能力発揮

飛行教育集団司令部勤務を終えて、送別会における川川柳調の一つに「浜風去りデンジコ管理者一安堵」とあった。各種の資料等を作るために、従来以上にコピ―用紙とインクを使ったことが班員の脳裏と身体にしみついて強烈に印象に残ったということであろうか。…

神原町シニアクラブ(66) 年度の締めくくりと新年度へ向けて

年度末が近づく2月の定例会の焦点は、役員の選出と次年度の計画である。今までいろいろな意見を出し合ってきたので、それらを総合した案を作って提示し、それを基に更に意見を出し合って決めていくことになる。 自衛隊であれば、多くの優秀な幕僚がいてあっ…

昭和の航空自衛隊の思い出(233) 第3術科学校勤務を命ずる

1.その時何を考え立ち向かったか 「昭和の航空自衛隊の思い出」は、昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生…

浜ちゃん日記 天寿を全うし大往生すること

先般、地区のシニアクラブ連合会の役員会が行われた。役員の一人に御年98歳で毎週カラオケとゴルフを楽しみ、このたび車は新車にかえたとの話を聞きびっくりした。実に役員として立派に会計担当の業務を果たされており、その意欲に敬服したものであった。 …