2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧
1. 部内出身の指揮幕僚課程卒業者の活躍への関心 ❶ 先輩の活躍について関心と敬服 昭和30年(1955)6月航空自衛隊に入隊、第1期操縦学生として基本課程を卒業し、操縦に進むも適性面から操縦学生免となり、空士・空曹を経て部内幹部候補生選抜試験に挑戦、…
昭和60年(1985)8月防衛庁航空幕僚監部勤務となって、在京周辺の知人との交流が飛躍的に拡大した。 かって中部航空警戒管制団司令部・部隊の入間基地及び航空総隊司令部の府中基地で勤務した折も在京の友人達と交流を深めたものであった。 1. 白川元春元統…
1.空幕勤務間( 昭和60年(1985)8月~63年(1988)7月)お仕えした空幕長等 航空幕僚監部に勤務した期間は、昭和60年(1985)8月〜63年(1988)7月までの3年であった。中央部での3年間は、以下の空幕長等にお仕えすることになった。 35年余の自衛官生活で…
今年は健康広場の外柵沿いに大輪のヒマワリ種を少し遅めに蒔き花を咲かせることができた。すでに最盛期は過ぎて花期が終期となり、目下のところ来年用の種採集の段階に入っています。遊び心で来年に備えてある試みをしてみました。 また、コスモス畑には後方…
昨日8月26日は、浜松市西区神原町花の会が管理するコスモス畑が地元の静岡新聞で取り上げられた。これに関連し「花だより」を発行し会員に配付した。毎日花畑に顔を出しているので、コスモスの開花数が日一日と増えていくのがよく分かる。 コスモスの花摘…
1.つれづれの日記と所感 入隊以来、ポケットに入る自衛官手帳は愛用したように記憶しているが、若い時代のものは全く残っていない。時代を追って自衛官手帳も大型化しノ-ト式になったものを愛用した。行事予定や業務の主要な実施事項等をメモしていた。そ…
1.新聞記事などの切り抜き整理と活用 昭和30年(1955)、航空自衛隊に入隊してから最も長く続いたものは、新聞や雑誌記事の切り抜きであろう。関心のあることや話題になっていることについてファイルを作って、項目・分類別に仕分けして時系列に張り…
1. 千葉・西船橋から東京・六本木の防衛庁航空幕僚監部への通勤 昭和60年(1985)8月航空幕僚監部勤務となり、千葉県市川市の二俣官舎を生活の拠点とした。千葉・西船橋から東京・六本木の防衛庁航空幕僚監部へ通勤する手段は電車である。官舎から西船橋駅に…
今日は処暑、猛暑は止まらないが、それとなく秋の気配が感じられる。コスモス畑もちらほらと咲き始めた。神原の里を彩るのもまもなくであろう。 処暑についは、ネットで確認してみたら、日本の行事・暦 > 二十四節気 (出典)によると、「24節気の一つで…
1. 空幕人事第2班の所掌業務の見直しと役割 昭和60年(1985)8月航空幕僚監部人事課勤務となり、人事第2班に配置されて以来、人事課長利渉弘章将補の特命を受けて取り組んだ事柄の一つは 「人事第2班の所掌業務の見直しについて」であり、その主柱と…
ここのところ猛暑と疲れがたまっていたせいか、昨日土曜日は珍しくじんましんの症状が出てきた。自分の記憶では今までにこうした症状の発症はなかったように思う。 一昨日は午前中家庭菜園を管理機で耕し、午後はエアコンの効いた会館でシニアクラブのカラオ…
1.人事2班の業務全般についての見直し 昭和60年(1985)8月、空幕人事課人事第2班へ配置となるや、人事課長から新鮮な目で「人事2班の業務全般についての見直し」の特命を受けた。 そこで、まず、着手したのが、「人事2班の所掌業務の見直し」の主柱…
ブログの中で、最も力を入れているのが「昭和の航空自衛隊の思い出」です。回を重ねること、336回となりました。 何しろ遥か昭和の時代のことが主体であるので、入隊時の最初の出だしの頃は、メモなど残されているものがすくなく思い出すのに苦労しましたが…
1. 空幕新着任者に対する幹部教育 昭和60年8月1日付の人事異動で新たに航空幕僚監部に勤務した2佐以下の幹部に対する新着任幹部教育が行われた。 人事教育部勤務者に対しては、着任の翌日6日に人事教育部副部長石塚勲将補(空将・航空幕僚長)の講話、空…
1.空幕人事課人事第2班へ配置 昭和60年8月5日空幕人事課に着任し、人事第2班の机に座った。通常の勤務配置の場合、担当職務が決まっており、前任者の申し送りなどあるものであるが、前任者はおらず、班の現体制に加わる格好であった。 人事第2班にお…
ブログも本日で継続日数が「777」ときた。めったにない数字なので何かいいことでもあるであろうか。ブログ日数は1165日、良くも続いたものだ。 お盆が終わったと思ったら今度は台風7号が接近してきた。この影響で15、16日の夜半降雨があり、花畑…
8月15日は終戦の日、71年前も猛暑の日であった。小学生の時、家のラジオから流れる玉音放送で大東亜戦争で日本が負けたことを知った。政府主催の「全国戦没者追悼式」は静かに迎え心の中で幾百万の戦没者を追悼した。 午後から天龍山洞雲寺(浜松市西区…
1. 防衛庁航空幕僚監部への転任 ❶ 市川市の二俣官舎への引っ越し 昭和58年3月16日付で西警団司令部人事部長を拝命してから2年5カ月、60年8月1日付で航空幕僚監部人事教育部人事課勤務を命ぜられた。 配置先の人事課人事第2班長髙橋和夫1佐から内示以降し…
1. 航空幕僚監部人事課へ転任命令 ❶ 春日基地離任 昭和58年3月16日付で西警団司令部人事部長を拝命してから2年5カ月、60年8月1日付で航空幕僚監部人事教育部人事課勤務を命ぜられた。 8月1日は、合同朝礼で同日付で転出する隊員と一緒に団司令田中憲明将補か…
1. 西警団司人事部3級賞状受賞決定の内報 わが西警団司人事部の3級賞状受賞については、昭和60年7月23日、第15警戒群( 福江島}へ出張中に人事班長北方伯佳3佐から内報を受けた。おりしも当年度は、7月22日から23日の2日間にわたって、第15警戒群に対する西…
私のブログの中でも、2014-08-13 浜ちゃん日記 初盆と盆義理 のアクセスは意外に多い。それだけ当地における盆義理についての関心が高いということであろう。 8月13日~15日は、当遠州地方のお盆、初盆を迎える家庭では、親戚縁者を招いて法要し、縁のあっ…
毎月のシニアクラブの定例会は、重点を決めて会の運営を進めている。7月は健康教室を開き夏の健康管理、特に熱中症の予防の話を重点とた。 8月は、神久呂地区に古くから伝わる昔話(民話)を紙芝居で過ごした。 ❶ 7月 定例会・健康教室 ❷ 8月定例会 ろくべえ…
自衛勤務において、陸海空で多少の違いはあるが、 3曹への昇任、2曹~曹長への昇任及び部内幹部候補生選抜にあたっては、昇任試験が行われていた。昭和の時代も今日もそう大きな変化はないであろう。 私も士長から3曹、3曹から2曹への昇任試験、2曹から部…
1. 指揮官職と幕僚職 自衛官勤務において、幹部に任官後の補職・配置は、指揮官職に配置されることなく、ほとんどが幕僚勤務であった。いっぱう、退官した後の人生では,仕事も地域社会の活動においても自衛隊式にいうならば指揮官職を主として歩むことになっ…
1. 防大1期の田中憲明団司令 昭和58年3月16日付で西部航空警戒管制団司令部人事部長に補職され2年が過ぎた頃、西警団司令正信恭行将補が60年3月16日付で北部航空方面隊司令部幕僚長へ補職・離任された。正信団司令には、人事部長として約1年6月お仕…
8月7日午前8時から10時まで、恒例の佐鳴湖クリーン作戦に隊友会浜松支部の一員として参加した。作業は約1時間程度であった。全部で23名参加したようであるが、写真に入っているのは16名であった。前夜は花火大会が盛大に行われた。現地への移動が車し…
1. 団司令初度視察における准尉・空曹及び空士との懇談会 《 西警団司令部人事部長在任2年5月の内、要撃管制官の大先輩として敬愛する団司令正信恭行将補に1年6月お仕えした。気さくで隊員から慕われ名指揮官と評された方であった。》 西警団司令部人事…
今日8月6日猛暑日が続く中、午前は3時間ほど花畑の竹材の整理、休憩を取った後、午後は4時から3時間ほどコスモス畑の草取りをした。 水分補給をこまめにしながらの作業で、大汗をかき真っ黒になった。リオのオリンピックも始まった。先手勝の草取り作業で…
1.人事幕僚としての命題と取り組み 昭和30年自衛隊入隊以来、操学1期、 空士・空曹を経て部内幹候に進み、レ―ダ―サイト勤務において要撃管制の作戦運用を経験した後、人事部門を担当することになった。人事担当幕僚になってからは、自分の勤務経歴から自…
1. 隊員の勤務と家族の健康等 自衛官は、入隊にあたって所定の身体検査に合格し、入隊後の教育訓練のおいては任務遂行に必要な体力・気力錬成を行ない一般的に身体強健である。 長い自衛官生活においては、検査・治療のため衛生隊にお世話になったり、部外の…