わが自治会活動の軌跡(9)  敬老会の新企画とまちづくり委員会の発足

   平成17年(2005年)4月、地域の神原町自治会長に就任して以来、3年間、毎月5日と20日の2回、「神原町自治会ニュース」を編集発行した。歳月が過ぎるのは早いもので15年が経った。
 わが町に「自治会ニュース」が創設発行されるようになってから、現在に至るも継続されて情報連絡紙として大きな役割を果たしている。
 「神原町自治会ニュース」を通じて、地域社会に生起する諸問題、自治会活動及び運営や地域の話題や町内で黙々と献身的に活躍する人々などを中心に、どのような問題に直面して、どのように対処したかを回顧してみたい。
 時代、地域によって状況は様々であるが、自治会の運営と活動においては、全国の自治会・町内会に共通するものがあるのではなかろうか。

   これから自治会・町内会の会長、副会長、会計の三役などの役員として活動される方々に参考にしていただきたいと思うからである。時代の進展とともに私たちの住む町の自治会・町内会は常に新しい課題に直面しながら前進していくものである。

❶ 平成17年度神原町敬老会は、祝賀と感動のある敬老会を目指して新企画を取り入れた。

▲ 小学生5名が自分のおじいちゃん、おばあちゃんにお祝いの言葉を発表した!
 平成17年9月19日(月) 敬老の日は、神原町敬老会を開催しお祝いをした。当年は186名の方が対象であった。例年の通り祝賀式、祝宴及び演芸会を行ったが、新企画として、祝賀式に今までやったことのないお孫さんからのお祝いのメッセージを取り入れてみた。

 今回70歳を迎えられ、お孫さんと一緒に暮らしておられるおじいちゃん・おばあちゃんへお祝いのことばを小学生5名に、式典の中で発表してもらうことにした。

 池谷正光様には、池谷穂乃加さん(1年)、池谷遥さん(3年)さん、古橋小代子様に古橋弘貴君(5年)、生田公郁様に 生田慎吾君(6年)、東條昭子様に東條綾乃さん(6年)がお祝いのことばを文章にして贈った。

 ほのぼのとした内容で本人はもとより皆さんが感激し有意義な行事であった。また、88歳を迎えられた井嶋隆司様には、お孫さんの社会人井嶋淳人様からお祝いのメッセ-ジが届けられお渡した。

 式典が終わった後、当日の写真とお祝いの言葉を整理し差し上げたところ、とても喜んでいただけたことが強く印象に残っている。

 敬老会、とりわけ式典をいかに感動的なものにプロデュースするかは自治会役員の知恵の出しどころではないであろうか。

    
❷ 神原町まちづくりブラン」の策定を目指して「神原町まちづくり委員会」が発足した。

▲ 神原町まちづくり委員会」が9月11日に発足した。

 神原町が誕生して50周年を迎えるにあたって、平成17年度の主要な事業計画にとりあげた「神原町まちづくりプラン」を策定するため、「神原町まちづくり委員会の設置及び運営要領」を制定し、9月ようやく第1回目の委員会を開催する運びとなった。

 まちづくり委員会は、自治会長から委嘱された57名の委員が参集し、運営要領等を確認した。この委員会は、長期的視野に立って、安心・安全で・住みよい、静かな町を目指した「まちづくりプラン」を作成することが目的であった。プランは、町民が主役、全員参加のもと英知を集めて作り上げようとするものであった。
▲  まず最初の作業は、町民の声を吸い上げ、プランに反映するため町民全員を対象に大規模なアンケ-ト調査・意見を集める作業から始めた。町始まって以来のことで、全戸から多数の貴重な意見を集め集約整理し、主要テ-マを決めることにしたのであった。

* 最終的には、「神原町まちづくり構想」として自治会総会で承認され、として各種の事業が実行されることになる。

 ❸ 「会長、あまり仕事はやり過ぎないでくれ、後の人がこまるで!

▲ 古くて新しい町、世帯数及び人口の急激な増加と発展

 自治会長に就任して、6か月ほどたったころ「会長、あまり仕事はやり過ぎないでくれ、後の人がこまるで!」との意見をいただくようになった。笑って聞き流した。若い時代から自衛隊で建設・創造・発展の時代を過ごしたことから当たり前のことをやっているつもりであった。

 それほどお恐れたことをするつもりもなかったが、どちらかというと保守的で農村の静かな田園地帯の趣が強かったところであったからそのままにしてほしいという雰囲気がある一方、町の50周年を迎えるに際し、約60戸から約370戸と発展しており、世帯数と人口の急激な増加とともに若い世代を中心に「まちづくり」に寄せる切実な要望かつ期待、具体的、建設的な夢と希望が満ち溢れる意見が寄せられた。
▲ 私が自治会副会長、自治会長を引き受けした最初の理由は、次の二点であった。

① 長年にわたって国家防衛の任についた。公的な最後の奉仕として地域のお手伝いに副正4年だけ専念する。(実際は6年になってしまった。)

② 目標は、自治会業務の効率化・機械化により、自治会の業務を誰でもできるように基礎作りをしたい。(数年前に就いた部長の時の見聞や副会長の経験から、多少でも地域のことに私なりの奉仕ができそうだと思ったからであった。)

▲ 歴史のある神原町自治会は、歴代の会長・役員の皆様の尽力により行事・業務は一つの形が出来上がっているが、弱点は、副が終わったら正になる慣行はあるものの、安定した継続性がなく、役が終わったら文書綴りが申し送られるだけで、すべてのノウハウはその人の脳に蓄積され、積み木崩しで一からの出発が多いように見受けられた。

▲ 当時、今や情報社会となり、近い将来、パソコンが駆使できる世代が到来する時代かやってくる。口頭による申し送り時代を終わりにする。自治会の運営要領及び各役員の業務処理要領も今までのノウハウと新しい時代に適応した内容にまとめ上げて、業務が円滑に遂行できる体制を作り上げ、後の人が少しでも楽ができて、仕事がやりやすいようにできないものかとの発想であった。

 当時は、私自身がパソコンを一字一字打っている時代であったが、悪戦苦闘してまとめることができた。

 会長在任間に作成した文書等すべてをCDに収録して自治会の資料として、永久保存とした。

 私物化することなく、出し惜しみすることなく、後任者へ継承していくことにより、さらに充実したものにしてほしいとの期待であった。

▲ 自治会副会長3年間の在任中、じっくりと自治会の運営と活動について調査研究してみて、わが町の発展のためには、長期視点に立った「まちづくり」という発想、考え方 を取り入れて、町民の総意と英知をもって「まちづくり構想」を策定し、事業として実行する必要があると考えるに至った。

❹   防災訓練に.初の「災害図演」を実施した。

 従前の防災訓練の上に、どこでもやっていない災害図演をやってみた。自衛隊式の図演の一端を取り入れてみた。誰も体験したことのない図演であったから、災害対処に大きな刺激を与えた。

 各部班ことに、グループを作り、町内の地図を前にして、サイコロを転がして町内のどこの地区・地点が地震災害で被害を受けたと想定しての図演であった。サイコロで被害の程度も出すようにした。

 全く事前のシナリオなく、何が起きるかわからない状況下にしておいて、サイコロを振るたびに付与される被害状況に対して、地図に示されるから参加者の目の色が変わってきた。

 言うなれば自分のうちが全壊、半壊などの被害を受けたと仮定するから、防災隊として、隣近所としてどうするかは実戦的なものとなる。被害想定を自分の町内に置き換えると、さてどう対処するかは自ずとやるべきことが出てくるものである。

 縁起でもないと言う観念を取り除けば、やり方によっては、真剣な災害図演は災害に対する認識の変革、防災隊の装備機材と行動要領変変革の見直し、各家庭の準備物品の再点検、日ごろからの隣近所の付き合いや共助などのあり方様々な課題を提供してくれた。

 

7神原町自治会ニュース NO 9  平成17年(2005年) 9月 20日

f:id:y_hamada:20200423152526j:plain

f:id:y_hamada:20200423152644j:plain