2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和の航空自衛隊の思い出(119)  副官というポストの不思議な魔力

1.副官というポストの不思議な魔力 私が操縦学生・部内幹候出身で1等空佐まで進み各級司令部で勤務することができた原動力は、かって中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令の山口二三将補と白川元春将補、さらには石井信太郎将補に副官としてお仕えした時代…

昭和の航空自衛隊の思い出(118) 副官としてお仕えした 白川元春司令

1. 私の自衛官人生航路に大きな影響を与えた副官配置 人生における人の出会いとは不思議なものである。航空自衛隊に第1期操縦学生として入隊し、操縦幹部を目指すも夢かなわず、転じて部内幹部候補生選抜試験に挑戦・合格し、幹部自衛官としての道を歩むこと…

昭和の航空自衛隊の思い出(117) 副官から見た山口二三将補のお人柄と学んだもの

1. 衝立の向こうで想を練っておられた 私は中部航空警戒管制団司令部副官・2尉として、 昭和41年5月から42年7月まで山口二三将補が中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令の在任間お仕えした。 副官の役割の中で、指揮官が執務しやすい環境を作り上げるこ…

昭和の航空自衛隊の思い出(116) 故山口二三将補の「追薫」(2)

1. 航空幕僚長大室孟空将及び陸士49期生代表春田廉治氏の弔辞 山口二三将補の「追薫」の中に、故山口二三将補の葬儀における航空幕僚長大室孟空将及び陸士49期生代表春田廉治氏の弔辞が収められている。 山口将補のすべてがこめられており、当時中部航空警戒…

昭和の航空自衛隊の思い出(115) 故山口二三将補の「追薫」(1)

1. 故山口二三将補の「追薫」 昭和57年3月、故山口二三将補の「追薫」が「山口二三を偲ぶ会」の企画編集により一冊の本となって発行されました。 故山口将補の「追薫」がまとめられるにあたり、令夫人千鶴子様のお気持ちが込められた「はしがき」には万感の…

昭和の航空自衛隊の思い出(114) 空幕防衛部長山口将補の自決

1 . 空幕防衛部長山口二三 将補の自決 昭和43年3月5日、突然の航空幕僚監部防衛部長山口二三将補の自決は驚きであり、衝撃的であり、痛恨の極みであった。責任感の強いお人柄であることは副官としてお仕えして十分承知しており、元部下の秘密漏えい事件に関…

昭和の航空自衛隊の思い出(113) 山口二三中警団司令・入間基地司令時代

1. 山口司令の記念植樹 山口二三将補は、 昭和41年2月16日中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令として着任されて以来、1年5か月在任され、42年7月17日、航空幕僚監部防衛部長へ栄転された。 入間基地の離任にあたって木犀を植えられた。木犀はその後す…

昭和の航空自衛隊の思い出(112) 山口二三司令と新任副官

1. 初めにお仕えた司令・山口二三将補 ❶ 最初にお仕えしたした司令 昭和41年5月から43年7月まで中部航空管制団司令部副官として中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令に約2年間お仕えした。 最初の司令は山口二三将補で、昭和41年5月から42年7月…

昭和の航空自衛隊の思い出(111) 副官の立場から見た入間基地

1. 2年間の中部航空警戒管制団司令部副官 昭和41年5月から43年7月までの2年余入間基地に所在する中部航空警戒管制団司令部副官として勤務した。 いきなり航空自衛隊随一のマンモス基地へ片田舎からでてきたので戸惑うこともあったが、中部航空警戒管…

昭和の航空自衛隊の思い出(110) 110回を迎えた「空自の思い出」ブログ

1. その時何を考え立ち向かったか 「昭和の航空自衛隊の思い出」は早いもので 110回を迎えることとなった。昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この…

浜ちゃん日記  新年度の生きがいづくり教室「神久呂ふれあい大学」

浜松市西区神久呂協働センター主催の平成27年度「生きがいづくり教室」・「神久呂ふれあい大学」の受講生募集が3月28日から始まる。26年度も充実した内容で受講生からも好評であった。 私も毎年受講しているが、結構楽しく参加している。頭を悩ませた…

昭和の航空自衛隊の思い出(109) 中部航空警戒管制団司令部副官の勤務

1. 警戒管制団司令部副官 昭和41年5月、入間基地に所在する中部航空警戒管制団司令部副官を命じられた。 当時、航空自衛隊において、副官は、幕僚監部のほか航空総隊司令部・方面隊司令部・航空団司令部などの将補以上の部隊指揮官に、佐官~尉官の副官と…

昭和の航空自衛隊の思い出(108)  任務遂行・生活基盤の再構築

1.突然の逆らえない運命に従う 昭和36年9月、要撃管制幹部課程を卒業し、初の任地へ向けて妻を帯同して雄飛して千葉県の峯岡山レ-ダ-サトに着任した。日勤で連日練成訓練に励み、要撃管制官の運用資格も初級を取得し、24時間の防空の最前線で実任務に…

こころのふるさと(28) 羽合中学の卒業文集をめくって(5)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」 昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。 中学時代のもので残って…

こころのふるさと(27) 羽合中学の卒業文集をめくって(4)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」 昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。 中学時代のもので残って…

こころのふるさと(26) 羽合中学の卒業文集をめくって(3)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」 昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。 中学時代のもので残って…

こころのふるさと(25) 羽合中学の卒業文集をめくって(2)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」 昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。 中学時代のもので残って…

こころのふるさと(24) 羽合中学卒業の文集をめくって(1)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」 昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。 中学時代のもので残って…

こころのふるさと(23) 羽合中学生時代の思い出の資料

昭和23年4月から26年3月までが中学生時代である。鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の宇野で育ち、4キロほど離れた羽合中学に通った。 最近、身辺の整理をしていて、気づいたことがある。自分にとっては宝物のよ…

神原町シニアクラブ(44)  ころよいあんばい

3月末はどの団体組織にとっても年度の締めくくりで、活動報告・決算報告などがある。シニアクラブの場合はあまり形式にとらわれず、一年間よく出席してくれましたねというと程度で、出来る限り楽しく過ごすように計画している。(活動のまとめ、上部への報告…

浜ちゃん日記  何事も八分がよい

ここのところ忙しい毎日でゆっくりテレビを見ることもできなかった。元気でなんだかんだと過ごしている。 やっておきたいことやりたいことは多くあるが、まあまあという程度がよい。食べ物も「腹八分」が健康に良い。昔から「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…

シニアクラブ(43) 西部地区歴史探訪ウオ-キング

昨日、3月10日、シニアクラブ静岡県若手委員会西部地区幹事会主催の「西部地区歴史探訪ウオ-キング」が行われ参加した。 午前8時に自宅に車で出発し、湖西市新居文化公園へ出かけ、9時30分からの開会式に出席した。行程8キロ、湖西市新居地区の国指…

浜ちゃん日記  向こう三軒両隣

先日は、自治会隣保班の班長引き継ぎ会があった。地域の地縁団体である自治会の下部組織として部があり班がある。自治会の運営上必要不可欠なもので、有効に機能している。 昭和30年に神原町が誕生して以来、班内の世帯数は時代により増減はあるが連帯感を…

昭和の航空自衛隊の思い出(107 )  新任幹部として最前線部隊勤務の経験から得たもの

1. 最前線部隊における経験 昭和30年6月航空自衛隊第1期操縦学生として入隊し、基本課程・英語教育・地上準備・初級操縦課程と進むも飛行適性面から免となり、大空への夢が挫折し方向転換の岐路に立った。 一般隊員となり、昭和32年4月整備要員として浜…

神原町花の会・花美原会 (122 ) 今年初の花協同活動

本日、3月8日、夜半雨が降ったが今年初の花協同活動は午前8時から開始し11名参加して約1時間で作業を終了した。他の諸行事と重なったがこれだけ参加していただいてありがたいことである。先週1日に協同活動を予定するも降雨のため中止した。3月に入り協…

航空自衛隊第1期操縦学生(17) 最後の第1期操縦学生入隊60周年記念大会と操縦学生第1期生だより 

〇 第1期操縦学生入隊60周年記念大会 今年は、昭和30年6月2日に航空自衛隊第1期操縦学生として入隊して以来60周年を迎えることになった。次により第1期生会として最後の記念大会が開催される。 第1期操縦学生入隊60周年記念大会の主旨及び方針は…

昭和の航空自衛隊の思い出(106) 人生最大の危機を乗り越える

1. 人生の無常と信念等の確立 昭和30年6月航空自衛隊に入隊し、第1期操縦学生として進むも操縦課程の途中で操縦適性面から断念・挫折、新分野に転進し再起した。 その後、34年に縁あって、浜松生まれの女性と結ばれ家庭を持ち、初級幹部となり、要撃…

昭和の航空自衛隊の思い出(105) 長子の誕生と妻の急死

1.順調な長子の誕生と大きな喜び 私の35年余の自衛官人生において、昭和36年9月から41年5月までの峯岡山サイトにおける5年間の勤務と生活は、充実した勤務であった一方、着任して6か月後、長子誕生の喜びと突然の妻の死という人生最大の苦難に直…

浜ちゃん日記  雨降りの馬頭観音

1. 今月の教示 浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺山門入口の掲示板は、今月は「化生」と「たった一度」 である。 2. 馬頭観音 3月1日は「神ケ谷馬頭観音」、朝から雨がよく降lって一日中続いた。強い雨で子供も馬に乗ることができないで残念がっていた。「家内安…

昭和の航空自衛隊の思い出(104 )  任地先の土地に惚れる

1.親せきを招く 自衛官生活を有意義に過ごすには家族ともども、勤務地に文句なしに惚れるということであろう。勤務地は自ら選べるわけではないが、新任地に馴染みその土地の魅力を掴み惚れることである。 私が昭和36年9月初勤務したところは南房総の峯岡…