2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧
陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年…
陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年…
1.わが自衛官人生の基盤づくり時代 高校卒業寸前に進学を諦め、米子駐屯地の陸上自衛隊に入隊し、新隊員前期教育を受けた。 教育訓練中に、戦後初の操縦学生(現 航空学生)制度が誕生・募集が行われた。高校卒で所定の教育訓練を卒業したら操縦幹部になれ…
傘寿・80歳を迎える歳になって 、顧みる時去来するものは、財産や地位でもない、どれだけ心豊かに人生を過ごしたかであるように思う日々である。生き甲斐・働き甲斐・意気に感ずる取り組み・挑戦・心に秘める自負と名誉など持てた人は幸せである。 前回、…
1. 勤務を通じての報恩の原点 私が自衛官生活で常に心がけたことがある。それは「お世話になったらその分お返しをするこれが人の道である」と思ってきた。 たいていの場合、勤務でお世話になった人には直接恩返しはできないので、違った形で、その時代の各勤…
1.部内の一般幹部候補生選抜試験受験の背景 昭和32年4月、第1操縦学校における初級操縦課程で操縦免、浜松基地の整備学校(現第1術科学校)へ士長で勤務となった。学校本部総務課に勤務し、同年8月3曹へ昇任した。次の2曹は1回お茶を引いて34年2…
1.シニアクラブの定例会 浜松市西区神原町のシニアクラブ(神原会)は、毎月定例会を開催している。11月は19日(水)に行い、定例会の流れは、次の通りに進めた。毎回2時間以内としている。 1 開会のことば 2 国旗拝礼 3 会員物故者に対して黙祷 …
1.ピカピカ大作戦 先週の11月16日・日曜日午前、神久呂中学校区青少年健全育成会(神久呂の子をよくする会)主催の「わが町神久呂ピカピカ大作戦」が行われた。西山町・大久保町・神ケ谷町及び神原町の地域の子供たちを中心に約700名余が参加して地…
1.早春を告げる菜の花 浜松市西区神原町花の会の管理する花壇に、昨年採集した菜の花の種を蒔いた。四季折々の花を咲かせているので、季節感を出すため2か所に蒔いた。面積的にはわずかであるが早春にはなくてはならぬ花の一つといえよう。きっと素晴らし…
厳しい冬がやってくる。浜松市西区神原町の花の会(花美原会)で管理する「花いっぱい区域」は住宅に囲まれた区域といえ、寒風は吹きさらしで遮るものがないので、花木にとっては試練の冬場となってくる。 花木がどんな環境条件で育つか知るだけに、春が来ると…
1.青年隊員時代の基盤となったもの 人の一生においては、誰でも若い時代は感受性に富み、何でも吸収してやろうという意欲があり、どんな困難にも立ち向かう情熱と気力体力がある。足りなかったのは卓越した識見、熟達した技量、総合的な判断力と豊富な経験…
1.創設期の外出模様 昭和30年1月の陸上自衛隊、同年6月の航空自衛隊への入隊から昭和34年ごろまで、外出は全て制服であった。浜松市内は休日ともなると、多くの隊員の姿が見られた。特に、浜松基地は、昭和30年代の前半は陸海空の入校学生であふれ…
1.ブログ書き 私のブログは、今「昭和の航空自衛隊の思い出」として、いろいろなことを書いているが、昭和時代の航空自衛隊といっても、国家の骨幹をなす巨大組織の中で過ごした一自衛官が、その時代に何を感じてどう生きたかを自分のために認めているだけ…
昭和50年、今から39年前の現役時代に、はるか更に15年前の空曹の時に経験した事柄を「潜水者浮上せず」と題して、「飛行と安全」という部内の安全誌に寄稿したものである。古びた一冊が残っていた。編集者が寄稿者に贈呈してくれたものであろうか。 昭和32…
1.忘れえぬ人 故内野英昭君を偲ぶ会 平成24年4月東京は市ヶ谷のグランドヒル市ヶ谷で、同年1月に逝去された故内野英昭君を偲ぶ会が行われた。案内をいただき上京した。そこには遠竹郁夫元航空幕僚長をはじめ並み居る元将官、幹部候補生学校の区隊長時代の…
1. 季節を告げる 今日午前中に、浜松市西区神原町の花畑・花壇の手入れをしていて、スイセンが三輪咲いているのを見つけた。花畑の各個所にスイセンの芽が出そろっているが、何を勘違いしたのか一本だけが開花した。早咲きの分であろう。オキザリスも咲き始…
1. 歌を披露するときの選曲 11月11日の夕べ 神原町と大久保町のカラオケクラブ合同の練習発表会を行った。毎年5月、11月の2回会場持ち回りで実施している。今回は合わせて24名で各人が日ごろ練成したのど自慢を披露した。最後はゲストの葵恵子先生に一曲歌っ…
1. 人生なるようにしかならない この頃は1~2日に一回は大きな行事等に参加している。手帳の予定を見ても何もない日はないほどだ。腰が痛いの、身体の調子がどうのといっている暇もない。歳の割には自分でもちょっと行動予定が多いかなぁと思いながらも、意識…
浜松市西区神原町の花の会(花美原会)の管理する花畑では、ホウキ草を花畑のアクセントとして活用している。毎年秋には真っ赤に染まってアクセントとしても効果的であ。一回蒔いて育てれば毎年その場所に自然播生してくる。 ホウキ草の種は、毎年採集して蒔い…
1. 創設期のトイレSOSの緊急事態 昭和32年4月浜松基地に所在する整備学校に学生要員として所属になった。ほどなく学校本部の総務課勤務となった。総務課内務班の副班長・班長をしていたとき、最も強烈に記憶に残っていることは内務班員であった総務課管…
1. 空の勝利は技術にあり 昭和32 年4月 浜松基地にある航空自衛隊整備学校(現在の第1術科学校)総務課に勤務した。学校本部庁舎前の庭に昭和31年10月 建碑された「空の勝利は技術に在り」は、私の心に響くものがあった。 航空自衛隊の創設期は、航空機…
1. ヒット中のヒット曲「浜松航空隊歌」 本年は航空自衛隊創立60周年にあたる。翻って、昭和32年4月に私の最初の部隊等勤務となった整備学校(現第1術科学校)も9月1日60周年を迎えた。 当時の資料をひもといていて、注目を引いたのが、学校総務課で一…
1. 国力が豊かでなかった時代の給食事情 今の日本は飽食の時代で、田舎も都会も大体食生活は同じになって、年中ごちそうを食べているようなものだ。世界を見渡せば、貧困で食べることさえままにならない国が至る所に存在する。それにしても、高いカロリ-の摂…
1.人事課程で勉強したい! 昭和30年6月第1期操縦学生として入隊して以来、防府・浜松・小月基地と2か年は学生であった。幹部候補生学校の操縦学生基本課程、臨時英語教育隊の英語課程を卒業した。次いで、第1操縦学校の地上準備課程も修了し、初級操縦…
1.隊内生活における内務班 昭和32年4月小月基地の第1操縦学校で初級操縦課程において単独飛行寸前に操縦学生を免となり、浜松基地の整備学校へ所属となった。学生要員から総務課に配置となり、独身隊員であることから総務課内務班で起居することになった…
1. 天気予報と天気図で判断・決心 ❶ 協同作業日 ここ数日は、週間天気予報に注意しながら、花畑の種まきをいつ行うか、ぎりぎりまで決定を抑えてきた。会員を動員するには各人の予定があり、昨日11月8日(土)と決定し作業日時を会報で流した。当然、協同作…
1. 健康広場とグリ-ン 11月5日、浜松市西区神原町シニアクラブのグラウンドゴルフ部13名で浜名湖ロイヤルホテルでグラウンドゴルフと昼食を楽しんできた。2組に分かれて3ホ-ル行った。地区外でのグラウンドゴルフは年2回程度昼食付きでプレイをしている…
昨日は11月3日文化の日、日本晴れだ。文化勲章の親授式も皇居で行われた。朝日を受けて国旗を玄関に掲げた。午前中は浜松市神久呂協働センタ-主催の住民対象のふれあいグラウンドゴルフ大会が神久呂中学校グランドで行われ私も参加した。 今年は63名参加…
11月2日、今年8月9日逝去した第1期操縦学生の故七条彰規君の納骨式が浜松市中区北区三方原町真宗大谷派長徳寺で執り行われた。 昭和30年6月航空自衛隊に入隊して以来、パイロットの道をひたすら精進して、創設期・建設期に飛行隊の育成に輝かしい貢献を…
1. 地域の部で最優秀賞 10月31日、第17回浜松市花と緑のコンクールの受賞者が「浜松市ホ-ムぺ-ジ」で発表された。翌11月1日の新聞を見て、わが神原町花の会(花美原会)が地域の部で「最優秀賞」に輝いたことを知った。 募集要項で、浜松市ホ-ムぺ-ジで…