2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和の航空自衛隊の思い出(101) 冬期の過酷な勤務環境の一端

昭和36年9月から 峯岡山レ-ダ-基地に勤務していた間、お隣の福島県の大滝根山レ-ダ-サイトの業務支援に出かけたこともあった。交差訓練で他のサイトに数日間滞在することはあっても研修でありどちらかというとお客様であるが、業務支援となると20日前…

昭和の航空自衛隊の思い出(100)  初の第一線部隊の官舎等生活

1.民家の間借 昭和36年9月新人の要撃管制幹部として最前線の部隊へ妻を帯同して赴任した。そこは、千葉県の鴨川町であり駅付近のアパ-トに1間を借りての生活であった。レ-ダ-基地は愛宕山にあり、勤務は厳しかったが、静かな山漁村地域で自然の豊かな環…

昭和の航空自衛隊の思い出(99) わが人生を豊かにした峯岡山の出会い

1.我が人生を豊かにしたもの 人生において良き思い出があると、余生も心豊かに過ごせるものである。再び青春や過去が帰ってくることはない。我が人生を振り返ってみるとき、去来するものは、よき「人との出会い」である。どのような人たちと一緒に仕事をし…

がんとの闘い(49) 体調良好・ 膀胱鏡等検査再発・転移なし

本日2月25日は、病院において膀胱がんの定期診察を受けた。先週はCT検査、尿と血液検査、本日の膀胱鏡によっても再発がないとの診断結果であった。 膀胱がんの経過を見ると、次の通りであるが、日常的には普通の生活を継続しており、膀胱鏡等による検査…

浜松鳥取県人会(因伯会)( 8 ) ふるさとに心を寄せ楽しく過ごす

去る2月22日(日) 正午から 浜松鳥取県人会(因伯会)が浜松駅付近のプレスタワ-15階21世紀倶楽部において開かれた。 来賓は、鳥取県名古屋代表部所長吉村文宏氏・東海鳥取県人会会長可世木博氏・島根県人会会長吉川章氏・島根県人会副会村井弘之氏及び…

昭和の航空自衛隊の思い出(98) 第44警戒群本部幕僚勤務の経験

1.部隊の全般に関わる経験 昭和群39年6月から41年5月までの2年間、群本部運用班長を命じられた。群本部は司令、副司令の下に幕僚組織として総務人事班、運用班及び衛生班があった。直轄部隊として監視管制隊、通信電子隊及び基地業務隊から成り立って…

昭和の航空自衛隊の思い出(97) 護衛艦に乗艦して 海空訓練支援

昭和30年代後半において、峯岡山分屯基地の第44警戒群おいて要撃管制官として、海上自衛隊との「海空訓練」で護衛艦に乗艦し、指揮所で要撃管制の立場から支援したことがあった。 海上自衛隊館山から護衛艦しきなみに乗艦し、東京湾を出て遥か洋上で訓練をし…

神原町シニアクラブ(42) 新会員の募集、仲間を増やす活動

いよいよ年度末が近づいた。どの団体も一年間の活動報告・会計報告等があるものだ。わがシニアクラブは新年度を迎えるにあたり、新入会員の募集を始めた。活動状況のPRを兼ねて 自治会の隣保回覧板で全世帯にお願いした。 シニアといえども価値観の多様化…

神原町花の会・花美原会 (121 ) 春の活動に向けて

まだまだ厳しい寒さが続いているが、3月に入れば、浜松市西区神原町の花の会(花美原会)も花協同活動を進めることにしている。町内はもとより他の地区でもちょつと手伝ってみたいという方には門戸を開いています。

神原町花の会・花美原会 (120 )  四季の花大切に

春がまじかだ。浜松市西区神原町の花畑も春の訪れを待っている。毎日一回は顔を出して様子を見ることにしている。厳寒の中で草花が小さくなっていたが、地中でパワ-を蓄え満ちるのを待っているようだ。その微妙な息吹や鼓動がよく分かる。 昨日の中日新聞朝…

昭和の航空自衛隊の思い出(96) 若き要撃管制官たち

1.防衛の最前線で勤務することの意義 私の35年余の自衛官生活を振り返ってみて、昭和の30年代後半の青年幹部時代にわが国の防衛の最前線に勤務したことが非常に役に立ったと思っている。24時間を3交代でロ-ティションする勤務であるが、1回の勤務に居…

昭和の航空自衛隊の思い出(95) 初のスクランブル発令と要撃管制

1.初めての緊急発進(スクランブル)発令 昭和30年代後半の第44警戒群における防空指令所(ADDC)において、休日、夜間の24時間交代制勤務時に、先任指令官(SD・シニアディレクタ-)に就くことがあった。この時は、勤務上番するときから下番…

シニアクラブ(41) 笑顔のあるシニアクラブ

浜松市西区神原町シニアクラブ(神原会)は、毎月定例会を開いているが、人間「笑顔」が一番だ。笑顔が失われたら人間廃業のようなもの、赤ん坊の笑顔は無垢で自然であり最高である。そこまではいかないが、シニアの場合もゲ-ムを取り入れると笑顔が出てく…

浜松防衛団体連合会(5 )  素晴らしい 防団連会長交代のレセプション

2月13 日午後6時30分から2時間、浜松防衛団体連合会会長の交代レセプションがグラドホテル浜松スズキ・ゲストハウスで盛大に行なわれた。 出席者は、国会議員、県会議員、市議会議員、浜松基地所在部隊の主要幹部及び曹士先任、静岡地方協力本部、地…

浜ちゃん日記 男の身体と心の年輪

私の良く歌う北島三郎の歌や世間話で[年輪]という言葉がよく使われる。樹木の年輪は1年に一つずつ成長輪を形成し増加する。人の場合はどんな形で年輪が残るのであろうか。 人生は歳を重ねるにつれて、「心」と「身体」に「年輪」が刻まれているであろう。…

自治会活動 (14)  ごみの集積所と環境美化

1 ごみ集積所 よく外国の都市で、財政が破たり、清掃要員のストでゴ-ストタウンと化した象徴として「ゴミの山」が大きな二ュ-スとな報じられることがある。 平穏な生活が維持されているため、空気のように何も感じいないが、ゴミ処理が停止したらそれこそ…

隊友会活動(16)  写真でつづる建国記念日

1. 家々の祝日の国旗掲揚 昨日・2月11日は建国記念の日であった。午後1時から浜松市建国記念の日奉祝式典及び記念講演が浜松市教育文化会館で行なわれた。 隊友会は、本行事の支援の諸準備のため、9時集合と号令がかかっていたので8時にバスで出かけた…

昭和の航空自衛隊の思い出(94) 防空演習、戦力評価

1.統裁部フエイカー係 昭和30年代後半の航空警戒管制組織は手動時代であ、半自動へ移行する準備が進んでいた。要撃管制官として一人前になり張り切っていたころ、どうしたわけか方面隊レベルの防空演習(ADX)のフエイカー係を命ぜられた。先輩の要撃…

昭和の航空自衛隊の思い出(93) 厚木基地海兵隊への連絡幹部

1. 厚木基地海兵隊への連絡幹部 どんな器材でもそうであるが、警戒管制組織においてもレ-ダ-機器の定期点検等が行われる。一瞬の停止もなく連続して警戒監視管制任務を遂行するには隣接サイトがカバ-するなどいいくつもの機能が補完し合うようシステム化…

昭和の航空自衛隊の思い出(92) 交差訓練による交流

1.サイト等の研修 昭和30年代、要撃管制官(通常、「GCIO」あるいは「コントローラー」といっていた。)は技量保持向上のため年間の交差訓練基準に従って、飛行部隊の研修、他区域の警戒管制部隊の研修があった。この制度は井の中の蛙にならないで非…

昭和の航空自衛隊の思い出(91) 米軍将校と肩を並べて職務に就く

1.わが小隊クル―と米軍連絡将校 昭和36年から39年まで峯岡山分屯基地に所在する第44警戒群の防空指令所(DC)に勤務した。米空軍は、日本側に警戒管制組織織を移管しが、日米の協定により米軍チ-ムは防空管制所(CⅭ)と一部の防空指令所(DC)…

昭和の航空自衛隊の思い出(90)要撃管制官の技量向上

1. マンツーマンの新人教育 昭和36年9月、要撃管制官として、初任地の峯岡山分屯基地に勤務した。要撃管制幹部課程を卒業し,第一線部隊に配置されても、すぐには実任務に付けない。所定の運用資格を取得して24時間勤務体制の実任務に就けた。 峯岡山分…

昭和の航空自衛隊の思い出(89)初めての房総の安房鴨川

1 風光明媚な鴨川 昭和36年9月、要撃管制幹部課程を卒業し、全く地理不案内の房総半島の任地へ向かった。今のように交通機関が便利な時代ではなかった。 未知の房総半島、新任地に思いを馳せながら妻と一緒に国鉄東海道線に乗り、東京を経由して、国鉄房…

昭和の航空自衛隊の思い出(88) この平和は俺たちが守っている

1.この平和は俺たちが守っているとの実感 かっての私の自衛官人生で、最も「この平和は俺たちが守っている」と強烈に実感したのは、初級幹部として、要撃管制官として、峯岡山分とん基地・第44警戒群に勤務し、24時間の航空警戒監視任務の交代制勤務(…

航空自衛隊第1期操縦学生(16)   浜松地区同期生会に集う

一昨日夕、第1期操縦学生の浜松同期会を浜松駅前で行った。昨年秋に逝ってしまった同期の納骨に集合して以来であった。 8名全員が定時の午後5時に参集し、7時半には散会した。60~70代にかけては2次会で深夜に及んだがそんな元気はなくなった。それ…

昭和の航空自衛隊の思い出(87)  首都圏の空の防衛・峯岡山サイト勤務

1. 峯岡山における初のレ-ダ-サイト勤務 昭和35年12月から36年9月までの10か月間、管制教育団に所属し、要撃管制幹部課程に教育入隊するも 修了し、36年9月20日、中部航空警戒管制団第44警戒群勤務となり着任した。監視管制隊に配置され…

昭和の航空自衛隊の思い出(86)  新任地への引っ越し準備

1.新任地峯岡山レーダーサイトへの内示と住居探し 昭和36年9月、小牧基地の管制教育団におけるだ要撃管制幹部課程を卒業する日が近づいたとき、初任地が内示された。千葉県の房総半島の南端にある峯岡山レーダーサイトであった。 早速、地図で調べてみ…

浜ちゃん日記  ありがたい・もったいない・お気の毒という心

毎月1日と15日の2回墓参をしている。浜松市西区神ケ谷町洞雲寺山門入口の掲示には、「この世に足らぬもの三つ」とある。 きさにそうである。」ありがたい」、「もったいない」、「お気の毒」という心である。ついつい恵まれた生活に慣れていまい、便利で…