2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和の航空自衛隊の思い出(137) 基地業務群人事班長

1.司令を補佐する人事担当 昭和45年5月人事班長を命ぜられた。当時の入間基地所在の中部航空航空警戒管制団基地業務群本部は、人事班のほか先任幹部のもとに総務班、企画班があった。先任幹部(業務主任)は各隊をまとめていたが、人事業務に関しては群…

昭和の航空自衛隊の思い出(136) 航空基地の裏方を支える基地業務群

1.マンモスの入間基地を支える基地業務群で勤務 昭和45年5月中部航空警戒管制団隷下の基地業務群人事班長(1尉、間もなく35歳となる。)として着任した。前任の整備補給群は1年半の勤務であったが、整備補給関係の機能の隅々まで知ることができた。…

神原町花の会・花美原会 (127 )  住宅地に彩を生む花壇とポピー花畑

1.彩を生む住宅地の花畑 今日は曇り空で作業がしやすいので、午前8時から12時まで4時間花畑に出かけた。浜松市西区神原町花の会の管理する花畑・ポピ-畑の草取りと周辺の整理、ホウキ草の種まきを行った。 今週末、5月2日朝は協同活動を予定してい…

神原町花の会・花美原会 (126 ) 春の陽光で早咲きのポピー

1. 協同活動の集団力 今年ほど花畑の草取りが計画通りにできなかった年はない。4月は連続して雨が降り続き快晴が1日で終わり次々と同じ調子であった。花畑の中に入れないため雑草取りとポピ-の整理ができず協同活動は、19日と25日の2回であった。 自然は…

昭和の航空自衛隊の思い出(135) 初の総務人事班長業務の取り組み方

1. 総務人事班長として策案の試行 ❶ 具体策を持って取り組む 今までの隊務経験から総務人事班長の業務は初めてであっても自分の役割と最も力を入れてやるべきことなどは明確であったので躊躇することなく具体策をもって取り組むことにした。 業務の進め方…

神原町花の会・花美原会 (126 ) 花よりも心づかいが最高に美しい(19)

1.まちなみの花ラインに寄与する花スポット 浜松市西区神原町の花の会(花美原会)は、町内の花と緑いっぱいの活動を行っている。本年度からは、まちなみの花ラインの形成に寄与している花スポットなどを「花だより」に掲載し、活動の輪を広げることとして…

浜ちゃん日記  80歳・傘寿を迎える気概

1. 人間の身体は歳相応になっていくものだ 来月は80歳・傘寿を迎える。よく人から「元気ですね」といわれることがある。「から元気だよ」と答えている。見かけはそうであるが、そうでないところが痛し痒しでもある。 毎日の生活で自分の歳を意識することは…

昭和の航空自衛隊の思い出(134) 心のゆとりが少しづつできた時代

1.自衛隊生活15年前後の時代 ❶ 幹部自衛官として自信をもって勤務 昭和30年6月に第1期操縦学生として入隊し、部内幹候出身者として、昭和36年2月3等空尉に任命され、39年1月2等空尉、44年7月1等空尉に昇任した。自衛隊勤務約14年、幹…

昭和の航空自衛隊の思い出(133) 幹部普通課程のもたらしたもの

1.幹部普通課程の履修 昭和43年12月、入間基地に所在する中部航空警戒管制団整備補給群本部総務人事班長に配置された。2尉を5年6月在級して昭和44年7月1尉に昇任した。翌45年1月から4月まで東京市ヶ谷基地の航空自衛隊幹部学校(第11代校長…

昭和の航空自衛隊の思い出(132) 総務人事班で苦楽を共にしたチ-ム

1.わが命題に取り組むことができた時代 昭和43年12月入間基地に所在する中部航空警戒管制団の整備補給群本部総務人事班長に配置され、第一線部隊の総務人事班長として、大きな志を胸に秘めて勤務することになった。 人事幹部として進むにあたっては、…

昭和の航空自衛隊の思い出(131) 総務人事班長として、胸に秘めたの四つの命題

1.胸に秘めた四つの命題 昭和43年12月中部航空警戒管制団整備補給群の郡本部総務人事班長となった。 ( その後、 昭和44年7月1尉に昇任し、翌45年1月から4月まで幹部学校の幹部普通課程を履修した。約1年6月勤務した後、45年5月基地業務…

神原町花の会・花美原会 (125 ) まちなかの花ライン形成( 18)

1.町内のまち巡り と四季の移り変わり 先日、浜松市西区のわが神原町内を歩いて、「花だよりNo106」を配付した。約60部であるが2時間かかった。発行回数からすると、少なくとも106回、町内の会員宅を回ったということである。衰えるいっぱうの体力…

昭和の航空自衛隊の思い出(130)  総務人事幹部としての初部隊勤務

1.整備補給群本部総務人事班長 昭和43年8月末中部航空警戒管制団司令部人事部に席をおいたまま、第3術科学校における第32期人事幹部課程(昭和43年8月7日~同年11月29日)を卒業した。 43年12月5日付で隷下部隊で入間基地に所在する整備補給群…

浜ちゃん日記  あるまちなかの花ライン

一週間ほど前に車で浜松市西区富塚町の交差点を通りすぎた時、これぞ私が求めている「まちなかの花らいン」というのが目に入った。その後雨続きでその場所にでかけることはできなかった。昨日天気もよくなり近くに妻と買い物に来たので、早速その場所に行っ…

昭和の航空自衛隊の思い出(129)  人事幹部課程の出会いと交流

1.忘れ難い教官陣 人事幹部課程における教官の中で特に印象に残っているお二方について触れてみたい。 ❶ 小城左親人事教官 事務官の小城左親教官は、職員人事管理と俸給を担当された。昭和30年11月に航空自衛隊に入隊され、62年3月末に定年退官された。…

昭和の航空自衛隊の思い出(128)  人事幹部課程へ入校

1.第3術科学校人事幹部課程に学ぶ 昭和43年8月7日~同年11月29日の間、第3術科学校へ入校し、 第32期人事幹部課程を学んだ。学校長は奇しくも私が整備学校総務課に配置になった時の石原格太郎将補(総務課長当時2佐)であった。学生は、15名で幹部自衛…

神原町花の会・花美原会 (124 ) 昔神原の里に群生した山つつじ

1.神原の原野に咲いた山つつじ 平成2年3月、航空自衛隊を定年退官に際し、永住の地を浜松市の郊外にある神原町と決めて自宅を建設した。ここは妻の生まれ育った地域であり、浜松基地は自衛隊在任間に4回勤務をしたところである。 地域に住ませてもらう限…

シニアクラブ(45)   地域の神原会館とシニアの分担

毎月第2日曜日の朝は、浜松市西区神原町の神原会館の清掃日だ。平成8年の開館以来婦人会が毎月清掃を担当してきたが、昨年度からシニアクラブもお手伝いすることになった。 高齢化が進む今日、どうして私たち年寄りが今更、会館清掃のお手伝いをするの!け…

昭和の航空自衛隊の思い出(127)  人事部門への転進につながったもの

1.一枚の人事員課程修業証書のもたらしたもの ここに一枚の修業証書がある。昭和34年1月上旬~3月末まで第5期人事員課程を履修したものだ。入校中に2曹へ昇任し23歳であった。 人事員課程への入校については経緯があった。それは昭和30年6月第1…

昭和の航空自衛隊の思い出(126)  副官勤務を終えて司令部人事部に配置

1. 副官の任を解かれ団司令部人事部に配置 昭和43年7月15日付で、中部航空警戒管制団司令部副官の任を解かれ、団司令部人事部に配置された。約2年余の副官勤務であったが、副官という立場から司令部活動及び幕僚勤務の在り方の一部を見聞・経験することがで…

神原町花の会・花美原会 (123 )   花と自然界の掟

1. 開花が例年より早いようだ 毎年、小学1年生が入学する頃に咲いていた黄色のラッパスイセンが今年は早く咲いてしまった。降雨の連続であり日照と降雨の関係であろうか。今年は特に降雨量が多い分成長も早く開花が早いようだ。自然界の定めに従うのみである…

航空自衛隊第1期操縦学生(18) 第1期操縦学生入隊60周年記念大会の打ち合わせ会

今夕は第1期操縦学生会浜松組7名が浜松駅前の天狗に集まって、「第1期操縦学生入隊60周年記念大会」の準備について話し合った。浜松組で実行委員会を担当しているので懇親を兼ねての意見交換を行った。 最後になるであろう60周年記念大会は、入隊記念日…

昭和の航空自衛隊の思い出(125)  副官勤務の余話

1.司令を陰から支える副官室 昭和41年5月、中部航空警戒管制団司令部副官の配置を命じられたとき決心したことがある。それは司令に誠心誠意お仕えしようと胸に秘めた。どのレベルの副官も思いは同じではないかと思った。幸い2年余の勤務の間初心を貫き…

昭和の航空自衛隊の思い出(124) 副官の飾緒

1.副官職の象徴 副官職の象徴は何といっても、「副官飾緒」と言ってよいであろう。航空自衛隊において、副官と他の職との違いは副官飾緒を着用することであろう。多くの国の軍隊に共通するものとして、職を示すものとしては副官用と駐在武官用の飾緒がある…

昭和の航空自衛隊の思い出(123)   副官の立場から幕僚業務を学ぶ

1. 司令室への出入りと副官室 昭和41年当時の中部航空警戒管制団司令部においては、司令室へ出入りするには副官の机の前を通らなければならなかった。それは建物の構造上そのようになっていたからである。当時、民間の会社の社長室と秘書室と同様に、高級…

昭和の航空自衛隊の思い出(122) 副官の日常業務に宝の山

1 副官の任務 昭和41年5月から43年7月までの2年余入間基地に所在する中部航空警戒管制団司令部副官として勤務した。この間、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令山口二三将補(元空幕防衛部長)、白川元春将補(元航空幕僚長・統合幕僚会議議長)の2代…

昭和の航空自衛隊の思い出(121)  副官勤務の総括

昭和41年5月から43年7月まで中部航空管制団司令部副官として中部航空管制団司令兼ねて入間基地司令に約2年間勤めた。この間、山口二三将補(元空幕防衛部長)、白川元春将補(元航空幕僚長・統合幕僚会議議長)の2代の団司令にお仕え、最後は石井信太郎将補に次…

神原町花の会・花美原会 (122 )   花畑に寄せる思い

ここのところ毎日雨マ-クである。晴天となったら次は雨天の交互が続いている。 春は万物の成長の時期だ。浜松市西区のわが神原町の花の会の管理する花畑も同じである。寒風にさらされ縮みこんていた草花が暖かくなって太陽と降雨で一気に成長しだした。その…

浜ちゃん日記  「 出会い」と「一期一会」

去る3月30日朝、浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺に墓参りをした。山門の3月の掲示は、「一期一会」であった。味わい深い言葉である。 ネットで確認した「ウィキペディア」によると、「一期一会(いちごいちえ)」とは、茶道に関するする日本のことわざ・四字…

昭和の航空自衛隊の思い出(120) 副官最後にお仕えした石井信太郎司令

1. 副官最後の勤務として石井信太郎司令にお仕えする 昭和41年5月6日付で中部航空管制団司令部副官に配置されて以来、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令に補職された山口二三将補に1年2か月、次いで、白川元春将補に8か月 お仕えしていよいよ任務が解…