両親や5人の兄姉はすでに逝ってしまい、末っ子の自分だけとなってしまった。幸い90代まで元気に過ごすことができた。
70代では、心房粗動、腎臓がん、膀胱がんと3回大病を患ったが、10年間何事もなく経過し寛解して今日に至っている。当時、あの世へ行っていたかもしれないが、まさに幸運であって「生かされている命」と感謝している。
大病を乗り切れたのは、運が良かったの一語に尽きる。3回の入院治療に際しては、その都度「病気に負けない」「病気に飲み込まれない」と固く心に秘めて治療に専念した。
入院中も手術翌日から、部屋への配膳を待たないで、食事場所に出掛けて食べることにした。退院後は、徐々にシニアクラブの諸活動に積極的に参加して心身の回復に努めた。
「病気したから大事に」「歳だから参加しない」、「遠慮する」などの消極的な姿勢ではなくて、「病気したから、歳だからこそ参加する」との積極的な考え方と行動を堅持することにした。
わが人生において、航空自衛隊に34年余勤務し、国家の防衛に従事し、職務に際しては、常に創造と向上・前進を目指して充実した人生を過ごすことができた。厳しい勤務を遂行できるように心身を鍛えた。定年退官後の第二の人生においては、自動車保険料率算定会調査事務所及び日本損害保険協会交通事故相談所勤務で公正な損害調査や事故相談など素晴らしい人生を過ごせた。
再度の定年により現職から退いた後は、第1期操縦学生会活動、隊友会活動、浜松鳥取県人会活動、自治会活動及び花と緑いっぱい活動、シニアクラブ活動などの諸活動に積極的に参加し、自分なりにそれぞれに貢献できたのではないかと充実感と満足感を持って毎日を過ごしている。
その根底にあるものは、この90年間において、私を暖かい愛情で強く育てくれた故郷、両親、兄姉はもとより家族、恩師、同期・同級生、友人・知人、組織と職場の上司・同僚・部下、医師と医療機関、地域の皆様に対する「感謝と報恩」の思いである。
職業人を卒業し定年後心掛けたことは、「報恩」をどのように実現・実行するかであった。自分の身近なところで恩に報いることが最善の方策と考えて、地域社会における諸活動に心掛けてきた。その思いと行動は、90代の老人の果たす役割など小さなものであるが、身体の動く限り心がけたいと思っている。また、元気でいて、社会や家族に少しでも迷惑をかけないことが報恩の一つの形ではなかろうか。
明日のことは分からないのが後期高齢期の人生である。「今日一日を元気に過ごす」ことを目標にしている。 こうした中で、普通に歩けて、動ける、自分のことは自分でできる90代の老後を毎日静かに過ごせることに、心からありがたく、感謝している。
よく皆さんから「元気だね」と言われることがある。わが人生の90代の終末期はどこまでいけるか、神仏のみぞ知ることだ。「感謝と報恩」の思いだけは強くなっている。