がんとの闘い( 64) 「生かされた命」と初心を貫く生き方

❶  腎盂がんと膀胱がんとなるも、幸い乗り切ったようだった

 今日はがんの6カ月定期診断日、医療機関に出かけて、尿検査結果などから特異事項は認められず異常なしと診断された。次回診察は来年3月である。

 平成24年(20131年)左腎盂がん、次いで25年(2014年)膀胱がんと診断され、所定の施術を受けてから7年経った。幸い経過良好で過ごしてきた。ありがたいことである。

❷ 2度のがんで、「生かされた命」であるとの思いと決心したこと

 2度もがんを患って、86歳の今日まで長らえてきた。がんの施術をした時、決心したことは「生かされた命」であると思い、これからの人生は一日一日を大切にすることした。その後は再発することなく、悔いのない毎日を過ごすことができた。ありがたいことである。

 人生二度あることは三度ということがある。こうして、6カ月ごとに経過観察の検査と診断が行われることは、油断大敵と心が引き締まる。

❸ 「生かされた命」を生かす、「感謝と報恩」を主軸とした生き方

 思っても見なかった、がんを経験してから、日々の暮らしの精神的な基盤となっているのは、「生かされた命」に対する「命を長らえさえてくれてありがとう」の感謝と「生きているうちにできる限り恩返しをする」という報恩の気持であった。

 人間の寿命と不思議なものだ。自分でコントロールできない領域でもある。人間は、歳を重ねれば最後は必ず死を迎える。高齢期の平均寿命超えると、所詮早いか遅いかである。生命の摂理は厳である。この「生かされた命」のある間にやるべきことをやっておきたいとの強い思いがあった。

 肉親も両親と兄姉6人のうち末っ子であった自分と姉の2人きりとなってしまった。健康管理は自分の意思でかなりコントロールできるが、寿命はまさしく天命と言って過言ではない。 

❹ 職業人生後の二つに区分した人生

 職業人生は、67歳で区切りをつけて以来、前段の68歳から87歳の20年間は、「感謝と報恩」の思いを主軸とし、後段の88歳から終末までは、自分と妻を主軸とした生活に2区分した生き方を描いてきた。

 人の生き方は様々である。どれか良くて悪いということはない。比較することもでないと思っている。自分の信念、信条に基づいて残された人生を有意義に過ごしたいと思ってきただけである。

 他人は他人、自分は自分である。人生は一度きりである。やり直しができない。愚直に生きる男がいて良い。「男子の本懐」というべきであろうか

❺ 「感謝と報恩」主軸とした人生

 職業人生を67歳で卒業し、年金生活で暮らしながら地域社会における諸活動を通じて、自分を育ててくれた故郷や自衛隊、活躍の場を与えてくれた組織、お世話になった人々への感謝と報恩の思いを主軸とした人生を送りたいと努めてきた。

 生まれ故郷の鳥取に対しては、鳥取浜松県人会会長としての活動、人生の活動期を過ごした自衛隊に対しては、隊友会支部長、地区協議会会長及び県副会長としての活動、浜松基地に対しては、浜松防衛団体連合会の結成と副会長としての活動、自治会長として、神原町誕生50周年を契機に「まちづくり構想」の策定と活動、花いっぱい活動の「花の会」の設立と活動、シニアクラブの会長及び地区連合会長としての活動など地域の諸活動は、感謝と報恩の思いから情熱を傾けて活動することができた。ありがたいことであった。

   一般的には、がんを二度も経験すると消極的となり、体力気力も低下するものであるが、「生かされた命[のお陰で歳の割には活発に動き回ったせいか、健康を維持することができたようだ。

 多少きつい労働も積極的に取り組んだせいか元気であり続けた。ありがたいことである。また、人のために行うと言う考えは全くなく、自分の健康のために行ってきた。そのことが多少でも感謝と報恩につながったように思う。

❻ 地域における活動にけじめをつける時期

 現在、感謝の気持ちとお世話になった方々、組織、地域に対して報恩を主軸とした諸活動で毎日を送っているが、これも来年3月で終止符を打ち、ケジメをつけることとしている。

 社会は時代の進展とともに世代交代、人材育成や前進のための改革が求められる。ちょうど良い潮時がやってきた。

 次は、自分と妻を主軸とした生活に軸足を移すことにしている。今や86歳、残された人生は少しであるが、やり残したこと、さらにやり遂げたいこと。静かに実行したいと考えている。

 90代に向けての自分の描く人生設計など所詮砂上の楼閣であるが、それはそれで良しと思っている。生きている限り、なんとか自分の信念、信条を僅かでも貫けたら良いと思っている。