わが生かされた命(2) 高齢期の節目にやって来た病魔・危機と対処、生かされた残りの人生の生き方

1  高齢期の節目の頃に病魔が襲って来た

 高齢期におけるがん等の病魔がやってくるのは60、70、80歳前後の節目の頃が多いようだ。これを人生の大きな壁と捉えたたり、山や峠と表現したり、高いハードルと見ることができる。多くの高齢者集団のがん等の発病傾向を見ているとそのように強く感じる。90歳代に入ってしまうと、手術をせずに自然に任かせ見守るだけであるのが一般的であるようだ。

 この時期は、人生の後半期の最終コースに入り、精神的には大きな役目を果たしホッとする一方で、身体的には老化が本格的に始まり、進化する。この節目は、10年ごとぐらいにガンなどの発病という形で出てくることが多いと感じている。

 私の場合は、今まで何ら変化がなかったのに、70代後半になって、突然次から次へとやってきた。最初が75歳の不整脈の心房粗動、次いで77歳の腎臓がん、さらに79歳の膀胱がんであった。 

2 健康にあまり不安を感じなかった時に、病魔は突然襲って来た

 どちらかというと、若い時から身体は鍛え、現職時代は大きな病気もなく、定年退職後も比較的健康体で元気に過ごしていた。

 70代は、仕事からいっさい離れ、専ら地域社会における活動に専念してきた。この間、身体的な老化はあっても、大きな病気をすることもなく過ごしてきた。しかし、やってくるときは、これでもかこれでもかとやって来た。

 冷静になって振り返ってみると、元気であっても、自分が気づかないうちに、70年間使ってきた身体はいつでもがん等の病魔が入り込む可用性を秘めていたということである。

 60、70代と節目を乗り切ってきたので、このままでいけそうだと過信をしていたこともある。何ら不安を抱いていなかっただけに、元気に任せて地域の花活動の先頭に立って活動していた。

 ある日、広い花畑を大きな耕運機を使って耕している時、すうーと気が遠くなるように感じたので、急いでエンジンを止めて、しばらく休むと元に戻った。心臓の動悸なども回復したので、続けて作業をすると同じ症状が発生した。

 どうもおかしいと思い循環器専門の医院を訪れた。諸検査の結果、不整脈があることが判明し、病院で精密検査により心房粗動と診断された。そこで入院、カテーテル治療により普通の状態になった。現在も2月に一回定期的に検査等をしてさ健康管理を行なっている。

 このように、高齢期に入ると予想もしなかった病気になるものである。まさに突然立ちはだかる、大きな壁、険しい山、高いハードルであるが、これを乗り越えられるかがその後の人生を左右することになる。乗り越えられなくとも持病と上手く付き合うことが必要となってくる。

 どのように乗り越えるかが大きな課題であるが、自分の今までの健康管理や身体の特性、体力、耐久力、持久力など身体的に総合力がどれだけあるかによって、各人各様であるように感じている。その上に、身体的なものの他に精神的なものがその後を左右することになる。

3 日常生活のあらゆるところに転倒骨折などが潜み、それが契機にいっぺんに老化が進行する

 高齢期においては、大きな病気の他に日常的に起きる可能性が高い転倒などによる骨折を契機に身体機能が低下して、いっぺんに老化が進む状況を多く見てきた。

 ほんのちょっとしたつまずきであるが、後期高齢期においては、日常生活で起きるものである。じゅうたんの切れ目、敷居、僅かな段差、階段、小石、小穴、窪みなどで躓いて身体のバランスを失って倒れる時に腕、足、胸、肩、頭などを打って負傷することである。

 私も数回こうした転倒を経験しているが、幸い骨折に至らなかった。油断大敵で家の中であろうが、外であろうが、常に緊張感と注意心が必要である。なんでもないように見えるところに危険が潜んでいるからだ。

4 生かされた残りの人生は、自分に合った生き方で、毎日を楽しく愉快に過ごす

 人生は有限である。100歳時代が到来したとはいえ、後期高齢期においては自分の頭と自分の手足を使い生活できる年数は限られている。

 これからの90代に向けての人生は、さまざまな状況が生起するであろう。人と会話が全く出来ず、意思疎通がなく、器具でただ命が保たれているだけにはなりたくないと思っている。こうした事態になった時には、生かされた命と言えども延命処置はして欲しくないと宣言している。

 毎日の生活において、自分で食べることができ、散歩ができ、シニアクラブの活動に自由に参加でき、自力で行きたいところや見たいところに行けて、ブログが書けることが出来れは申し分ないが、どこまでできるか天命に任せる以外にない。

 生かされた残りの人生は、自分に合った生き方で、毎日を楽しく愉快に過ごしたいと思っている。この強い意志と体力・気力がなくなった時に命が終わることになる。