85歳老いる雑感(106) 毎日、たわいのない記事を書き綴るブログ三千回記

 ブログを書き始めて、7年9月を迎える。平成25年(2013年)5月6日に始めた。今や投稿数2.940記事、継続投稿2.799日となった。ブログを始めたきっかけは、「思いもしなかった大病・がんを乗り越え、毎日取り組んでいること、日頃感じていることなどを写真を取り入れて綴ってみたい。」と記している。

 千日回行にちなんで、三千回記を目指している。そんなにこだわりもないが、千日回記、二千日回記を終えて、三千日回記を目指している。目標があると心身に緊張感があるからだ。

 今日は快晴の一日、特に予定はなかったので、夫婦で午前4時間ばかり「ありがとう花壇」と周辺の整備作業をした。妻が花壇の草取り、自分は周辺の整備を分担した。

 草花は、昨年11月の種まき、発芽後降雨が少ないことから成長が緩やかなため、勢いがあり繁茂した雑草を取ると、草花の手元を荒らすことになるためそのままにしてきたものである。雑草は根気よく一本一本取り除く作業である。こうした作業は、黙々とコツコツと行うだけに辛抱強くないと務まらない。妻にはありがとうと感謝した。

 一方、周辺の整備作業は、枯れた草木の整理、雑草の除去、落ち葉の整理などを行った。ゴミ袋にして12個の成果であった。

 鎌や鍬を使い、行ったり来たりと結構体力を使った作業であったせいか、昼食後眠くなったので2時間余り後睡をした。高齢期になると余り体力を使うこともないので、体が引き締まったようだ。

 この歳になると、夫婦はお互いが元気であることは最高の幸せである。どちらか連れ合いを亡くするとか、病床に伏すことが多いからである。そうした点からは、夫婦で一緒に作業ができるだけでもありがたい年代となってきた。若い時は当たり前のことが当たり前でなくなるからである。

 歳を重ねるにつれて、人間の身体は可愛がりすぎたり、甘やかしてもいけないし、酷使してもいけない。自分の身体の状況は自分が一番分かっているからだ。

 日々の健康管理は他人に任せるのではなく、自分で調整するのが一番である。80代半ばを過ぎた今日、こうした奉仕作業をいつまで続けられるか、自分を試しているようである。挑戦をしていると言って良いかもしれない。

 わがグログは、記事としては三千は間近であるが、継続して毎日1回記事を書く三千回記はあと200日あり、本年7月ごろになるであろう。幸に達成できれば、心身の元気の証のようなものである。

 ブログに、日記的に、あえて自分の身体のことなどを書くのは高齢終末期における身体の状況、心境などがどのように推移していくのか記録しておくのも良いかと思うからである。

 また、物事を書くことによって頭の整理をする。思考力や意欲、体力気力がどこまで続くのか自分を試していることでもある。

   よくテレビなどで論戦を張っていた方が、突然テレビから消えていくことがある。数年後に、新聞の訃報記事でその後を知ることがある。人の命はわからないものだ。

 今年頂いた多くの年賀状の中にも、何十年と年賀を取り交わした知人の十人ばかりは歳だから今回限りで終わりにしたいとあった。また、年を追うにつれかって自衛隊時代一緒に苦楽を共にした隊友の訃報が多くなった。そのような年代になったということである。

 高齢期・晩年をいかに過ごすか、人生観によって各人各様である。多種多様であるから人生に定型はない。

 わがブログも、一日一記の連続三千回記を目指している。当たり前のことであるが、こうした挑戦はいつの日か終わりがやってくる。自分の寿命、体力気力など先のことは分からないからだ。人間は多くの方に支えられて生きている。他人様に迷惑をかけないように努めながら、毎日たわいのない記事を書いていきたい。