山門の人生の教示  子供は「親の言う通りにはしないが親のする通りにはする」

 明日は雨が予報されていたので、一日早めて朝夫婦で墓参りをした。浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺に詣でた。5月の山門の掲示は、「子供は親の言う通りにはしないが、親のする通りにはする。」であった。

   まったくその通りで二人とも「そうだね」と同じ言葉が出た。これは親の生き方、子供のしつけのあり方を的確に表した含蓄のある名言ではなかろうか。

 自分の子供時代、自分の子供たちのことを思い返すと頷くものがある。幼児の時は親の言う通り子供は受け入れるが、自我と自立心、自律心が芽生えてくると親の言う通りにはならないものだ。

 そのことは子供が順調に成長している証であり喜ぶべきことであるが、親としては心配で一言、言いたくなるものである。親子の関係では自分が親となってみてわかることも多いものだ。

 親の言うことを聞かないことの多くは、勉強と日常生活や行動に関わる事柄が主体ではなかろうか。

 私の子供時代は昭和の10年から20年代であった。農家で両親は朝から晩まで働き、夜中目を覚ますと、夜鍋や早朝から仕事をしている姿があった。

 親が子供のことなど構っている暇がない時代であった。農繁期には学校も休みがあり労働力として手伝うことを期待された。また、親たちが農事に勤しんでいる時は、水道やガスのない時代であったから水源地からの水汲み、運搬、風呂焚きなどは子供の仕事であった。

 従って、勉強や行動については自分で考えて自主的に行動した。勉強せよ、宿題はどうなったなど聞かれたこともなかったように記憶している。

 学校から帰ったら、子供達同士で昔からの遊びに夢中になり、山野を駆けずり回った。夕飯ごろになっても仲間との遊びに熱中して、ご飯だよと注意を受けることがあった。今風で言うならば、放任主義、自己管理主義であった。

 宿題を忘れると自分が恥をかくだけであったから、友達との遊びの後で必死で宿題を片付けたものである。

 こうしたことから、自分の子供には勉強や行動についてとやかく言うことはしなかった。元気で伸び伸びと成長すれば良いと考えにきた。

 よく「子は親の背中を見て育つ」と言われる。子供の頃は自分より年上のものの行動から学んだものである。「人の振り見てわが振りを直す」の通り親兄弟や他人から学ぶこともあった。

 また、親の日中、夜なべの仕事ぶりなどの姿や背中を見て、真面目に働くこと、約束を守る、堅実に生活すること、誠実に仲間と付き合うことなどを学んでいたように思う。

 親から特に説教されて学んだ記憶は残っていない。今の時代はどうであろうか。社会全体の生活環境も自分が育った時代とはかなり変わってきた。

 子供と親の関係はどのように変化したであろうか。時代を超えて共通するものは、子供は毎日の家族との生活、親の行動を見て育つことだけは間違いないと言うことである。

 親の生活態度や行動がだらしないと、反面教師となることもあるであろう。人間として、社会人として普通に暮らしていくこれが最高の背中ではなかろうか。

天龍山洞雲寺の山門の掲示 

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