山門の人生の教示  「善いも悪いも因果の種は播けば芽を出すいつの日か」 

 2月1日、天龍山洞雲寺の山門の人生の教示は、「善いも悪いも因果の種は播けば芽を出すいつの日か 」である。

 この掲示を拝見して、最初に浮かんだ言葉は、「因果応報」であった。善いことをすれば善い報いがあるし、悪いことをすれば悪い報いがある、蒔いた種は必ず芽を出し結果が出るという簡潔明快な言葉であった。

 当日朝は定例の墓参日、夫婦して自転車で天龍山洞雲寺に詣でで、お墓の清掃と供花をした。境内の参道山と墓苑の通路が、先日の強風で枯れ枝と落ち葉が散らかっていたので清掃をした。

 防寒で出かけたが、作業をしていたらしだいに身体が熱くなり途中で防寒衣を脱ぐことになった。良い運動になった。

【所感】

 掲示の言葉は、「因果応報」がピッタリだと思った。「因果応報」は、「自分の行動の善悪に応じてその報いが自分に返ってくる」という意味の仏教用語と言われている。

 調べてみたら、仏教では、次のように因果には法則があると説いている。

・善因善果(ぜんいんぜんか):善い行いをすれば必ず善い結果を得る

・悪因悪果(あくいんあっか):悪い行いをすれば必ず悪い結果を招く

・自因自果(じいんじか):自分がやった行いは必ず自分に返ってくる=現在の状況わかりやすい説明で、なるほどと納得した。

 想い出すのは、子供の頃、温厚な父親は村会議員・教育委員、養蚕組合長、民生委員など

 毎日の生活の中で、何でも良いから世のため人のために役立つことがあれば、どんなことでも進んで奉仕をすると善い心が自然に養われると教えてくれた。

 同じく、宇野小学校6年生の時の担任岸田善吉先生は、毎日善いと思ったことを行い、「養心録」に書くことを勧められた。 小さなことでも、自分が善いと思ったことは一生懸命行い、「養心録」に綴ったものである。75年余の歳月を経ても終生忘れない素晴らしい恩師の姿が思い出された。

❶ 山門の掲示 

「善いも悪いも因果の種は播けば芽を出すいつの日か」

 天龍山洞雲寺 (浜松市西区神ケ谷町)