85歳老いる雑感(111) 自分流の後期高齢期における多病息災の乗切り

後期高齢期の病気に負けず多病息災 

 高齢期において全く病気と関わりない、医療機関に係ることがない人は珍しいと言える。ましてや80歳以上となると何らかの持病を持っているものである。

 昔から「無病息災 」(病気せず、健康であること。元気なこと。)に対して、「一病息災」(病気もなく健康な人よりも、一つぐらい持病があるほうが健康に気を配り、かえって長生きするということ。)ということばがある。

 75歳以上の後期高齢期に入ると、多く人が一病どころか、二病も三病もそれ以上を持ち合わせているものである。まさに多病である。毎日、処方箋によるいくつかの薬を服用をしている人が多いのが現実である。

 人間の身体は、後期高齢期ともなると多病が当たり前であり、多病と上手に付き合い、病気に負けず「多病息災」でいきたいと常々思っている。多くの場合、多病に飲み込まれ、悄然として、じっと動かないでいる姿を見かけることがある。

 私も同年代と同じく、三〜四病の持ち主であり2月に1回ほど医療機関にかかっている。毎日夕食後一錠服用している。あちこちが痛むなどは日常茶飯事である。

あれもやりたい、これもやりたい強い願望

 そうした中で、多病であるがあまり気にせずに泰然としておれるのは、あれもやりたいこれもやりたい、やっておかないと、ここでくたばるわけにはいかないという強い願望と気丈な気持ちで支えられている。

 ある面では、この歳に達すると、今更ジタバタしても始まらないという気持ちもある。残された人生は有限であり、同じ生きるなら毎日を有意義に過ごしたいと思う。消極的な生き方より積極的な生き方、後ろ向きより前向きな発想、考えで進みたいと思って過ごしている。

積極的・前向きな生き方で多病を乗り越えたい

 そこで、身体が動くうちは地域に役立つことがあればやり遂げたいという気持ちが強い。シニアクラブの代表としての活動などはその一つである。やれることは全力を注いでやり遂げることにしている。

 大したことはできないが、こうした地域に役立つことができればという思いが、毎日の生活の基盤となっており、積極的に動くことによって、自然に多病を乗り越えることにつながっている。また、食欲が旺盛で食べるものをしっかりと十分に食べていることが活動の根源となっているように感じている。やるべき目標があり、実行することが多病のことを忘れ、健康や元気につながっているように思えてならない。

 いずれ任が解かれ、静かにのんびりと過ごす時が間もなくやってくるであろうが、その日まで積極的に、前向きに動くことになるであろう。自分流でこれからの人生、多病を乗り越えたいと思っている。

わが家のチュウリップが咲き始めた  令和3年3月16日午前撮影

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