85歳老いる雑感(101) 老境は走ること・ランニングが消えていく

 青年期、壮年期、熟年期においては、常に「走る」・ランニングが生活行動の一つとなっていましたが、高齢期に入ると次第に少なくなってきました。

 自衛隊現職時代、再就職時代は、どんなに忙しくても一日の生活の中に「走る」・ランニングすることを常としていました。身体を鍛える、健康管理面から必ず実行したものでした。

 いつから「走る」・ランニングを止めるようになったのか考えてみたら後期高齢者に仲間入りした75歳前後ではなかったかと思います。

 この頃から「走る」から「歩く」動作に変わってきたように記憶しています。日常生活から「走る」という動作がいつの間にやら消えてきたことに気づきます。

 世間を見渡しても、年寄りが走っている・ランニングしている姿を見かけることはあまりありません。人間の身体は高齢期になると個人差が激しくなります。歩くことさえ困難になくなってくるわけですから、ましてや走ることはできなくなるのは当然のこととなってきます。

 私の場合、今日の日常生活においては、「走る」ことは全くと言っていいほどに無くなりました。グラウンドゴルフをするときに、打った玉がホール線上付近にあるときに、次の打者の邪魔にならないようマークをするために、多少緩やかな走りをすることがありますが、わずかな距離だけです。

 走りたいと思っても体がついて行かなくなっています。それだけ身体機能が低下してきています。無理に「走る」と息切れがしてきます。したがって、「走る」から「速足」で行くことにしています。

 シニアクラブの代表・責任者をしていますので、諸活動においては、個人差があることから、無理をしないでゆっくりと行動すること、安全第一を基本にしています。そのためにはお互いがそのことを容認し合うことが大切となってきます。 

 高齢者集団の諸活動においては、歳を取れば取るほど、個人差ができて、動作が遅い事も容認し合う寛容さが求められます。そのことを常々強調しております。

 高齢者にとって、転ぶことは骨折につながり、入院生活→急激な老化→施設への入所に転化してまいります。

 こうしてみると、高齢期においては、「走る」・ランニングは個人差があることから画一的ではなく、各人の身体状況に合わせて、無理はせず、「歩く」ことを基本にすることにしています。

 最近のスマホは便利になりました。携帯しているだけで、一日の歩数、昨日との比較、1週間の平均などすぐわかります。そう言えば、かってよく使った簡単な万歩計が家のどこかに数個は眠っているはずだと思い出しました。

 老境は走ること・ランニングは消えていきますが、生き生きとした高齢期は、身体機能の維持、健康管理のため「歩く」ことがますます大事となってきました。