87歳の雑感(259) 毎日の平穏無事が何よりだ、健康維持への努力と天運

 最近、自分の周辺で、同年代の訃報に接することが多くなった。平均寿命からすると87歳は長生き組に入っているから同年代の訃報は何ら不思議ではない。よく頑張ったなあとご冥福をお祈りしている。

 この頃の毎日の生活は、曜日毎大体一定のスケージュールで暮らしている。特別に劇的なことが起こるわけでもなく、普通の淡々とした生活を維持している。安定した毎日が送れることは、最も恵まれた時期であり、良き時代であると考えている。

 こうした点では、毎日何事もなく平穏無事に過ごせることに感謝している。ありがたいの一語に尽きる。

 後期高齢者にとっては、心身の状況、健康、体調に大きな変化がないかどうかによって、生活内容が大きく変わってくる。大きな病気もなく、あまり医者にもかからず過ごせることが一番である。

 こうしたことから、幸い何事もなく平穏無事に毎日を過ごしている。自動車免許を返納してからは、バス、自転車、徒歩での行動が主体となったので、だんだんと行動範囲が狭まってきた。これも体力面からするとちょうどいい頃合いではなかろうか。

 世間的には、毎日が日曜日であるが、大きな役目を終えて、自由にやりたいことをやれることになったが、何でもできるわけではない。自力では限界があるからだ。どんなことをやるか、どこまでやるかなど、どこで線引きをするか、これを決めるのも自分である。

 なんと言っても、その基盤、鍵となるものは、自分自身の健康にある。気力体力が充実し、健康に大きな不安もなく、毎日体調がよければ、気分も良く、食事も美味しく、やりたいことがやれる、楽しく過ごすことができる。

 そのためには、自分で健康維持に努力する以外にない。他力本願は通用しない。健康維持は、他から助けられたり、与えられるものでもなく、自分の強い意思と努力しかない。

 後期高齢期は、もう歳ではなく、自らの健康維持への努力と天運にかかっているのではなかろうか。