昭和の航空自衛隊の思い出(15)  自衛官としての自覚と宣誓等

(続き)

3.服務の宣誓

    自衛官は入隊時「一般の服務の宣誓」をする。私は2回行なった。それは昭和30年1月19歳で陸上自衛官及び転じて30年6月航空自衛官として入隊ときである。また、36年2月25歳で幹部自衛官に任官したときは「幹部自衛官の服務の宣誓」をした。

    これらは所定の書面に自衛隊法及び施行規則に基づく服務の宣誓内容が記載されており、確認して署名捺印した。署名捺印するにあたっては何回も読み返し心に刻み込んだものだ。入隊式等の厳粛な雰囲気のもとで制服に身を正し任命され、宣誓すると一層自覚を深めることになる。

   服務の宣誓に関し、 今も創設期も変わらぬものがある。それはすべての自衛官に共通して言えることであるが、「自らの意思で選んだ自衛官の道」であり、自由なる意思による志願で他から強制されたものではないということである。

    したがって、宣誓は自らの意思で行っているものであり、その意思は尊いものとして受け止めるべきものであろう。

 退官して26年余たっても、今もって、ごくあたり前に以下の「服務の宣誓」の主要部分をすらすらと言える。多くのOBは内容の骨格をそらんじることができるであろう。

    一般の公務員で60年前に宣誓した内容をすらすらと言える人は多分余りいないではないかと思われる。その違いと理由はどこにあるであろうか。

 どの国家・地方公務員の宣誓にもない自衛隊員のみの「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」との文言は実に自衛隊員の本質を表すもので、退官するまでいついかなる時でも忘れたことのない厳しい宣誓であった。

 国民の代表である国会の議決と内閣総理大臣たる最高指揮官の命令があれば、「国難に際しては危険を顧みず、身をもって自衛官の責務を果たす」国家防衛の任はそれほど重いということである。宣誓は単なる紙の上のことではなく国家国民に対して宣誓した重みがここにある。

    諸外国においては、いずこの国家においても軍人が現職はもとより退役しても終生それなりに名誉が処遇されるゆえんもそこにある。

 我が国における自衛官の処遇はさておいて、「服務の宣誓」はずしりと重いものである。防人として無事に勤め上げたことは、その任を果たしたことであり、老兵になっても骨の髄まで自衛官であったことを誇りにしている。

❶ 自衛隊員の服務の宣誓

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」

❷ 幹部自衛官の服務の宣誓

「私は、幹部自衛官に任命されたことを光栄とし、重責を自覚し、幹部自衛官たるの徳操のかん養と技能の修練に努め、率先垂範職務の遂行にあたり、もつて部隊団結の核心となることを誓います。」

❸   他公務員との本質的な相違点

 公務員は国家、地方を問わず法令に基づいて服務の宣誓を行う。一般の人から見ると、一見同じように見えるかもしれないが、自衛官が担う使命・任務から本質的に一般職公務員はもとより警察官、消防官の宣誓と内容が異なっている。

    世界のいずれの軍隊・軍人は自国民に対して忠誠を誓っている。これはごく当たり前のことであろう。自国の領土・主権・国民を守ることを主任務としているからである。 

     

4. 認識番号の付与

   世界のどの軍隊でもやり方に差異はあるが、軍人個人に対して固有の認識番号を付与している。自衛隊も陸海空の三自衛隊によって、認識番号の付与の仕方、構成等は異なっているが然りである。

 認識番号は、軍隊において個人を識別するための番号であり、ジュネ-ブ諸条約の条文に於いて「個人番号又は登録番号(personal or serial number)」と表記されているものに相当する。「ジュネーブ条約」においてはいろいろと規定されている。旧日本陸海軍においては兵籍番号と言った。

 入隊式で服務の宣誓が 終わったら「認識番号」なるものを付与された。自分に付与された認識番号がスラスラと言えるように徹底して覚えた。

    入隊当初は、自衛官にとって「認識番号」がいかに重要な意味を持つものであるか教育された。国際条約においても軍人の認識番号は重要な意味を持っている。したがって「認識番号」をあらゆる機会を利用して発声させる徹底して記憶させる機会が設けられたのでよどみなく言うことができた。

   また、隊内で提出する書類には認識番号を書く箇所があったり、自分の氏名と一体となっていたから、すらすらと書けるようになった。

 私は陸上と航空自衛隊に勤務したので、二つの認識番号を保有していた。今もって60年たっても陸上自衛隊及び航空自衛隊で付与された認識番号は忘れていない。いまでも自然に口から出てくるほどである。

 遥か昔、陸上自衛隊における在隊証明を申請・交付を受けたときもそうであったが、最近あることで航空幕僚長への申請・交付するにあたって「認識番号」を記載する箇所があった。退官後何十年たっても私に交付された認識番号は終生同じであり、過去・将来にわたって在隊経験者が何百万人になろうとも識別できるものである。その意義と重みを実感した。

 

5.認識票の交付

 認識票は自衛官のみに交付されるものである。世界各国の軍隊において軍人の個人識別用に使用されるものである。現在の航空自衛官はほぼ全員が認識票を身に着けていると承知している。

 自衛官にとって認識票の着用は、首にかけて下着の下に着用するが、任務行動に際しては隊員を識別するものであり、「自衛官としての自覚」・「使命の自覚」と「任務の遂行」の重さを一層肌身で感じるものとなっている。

 現代の若者は男女を問わず首に装飾品として首飾りをつけている。自衛官の識別票は全くその目的が異なり「厳しい任務の象徴」であるが、若い隊員にとってはひそかに首に識別票を着用していることは、「自衛官の名誉ある証」であり、:現代若者のフアション感覚からしても素直に受けいられ、意外に人気があるのではないかと思われる。

    私が自衛隊に勤務した時代は、パイロット等の限定された職種のみであった。予算上の制約で全員には交付されていなかった。昭和32年頃の飛行訓練でも認識票は着用していなかったように記憶している。確か昭和38年頃に認識票の制式及びその取扱いが定められた。当然ではあるが、自衛隊法に基づく行動、航空機の搭乗、外国における国際貢献業務の従事、訓練演習等に認識票の着用を義務付けられているであろう。

 認識票の形状や材質、打刻される軍人の情報は各国の軍によって異なる。航空自衛隊では認識票には、氏名・認識番号・航空自衛隊名・血液型が記載され刻印されている。

  

6.国旗と朝夕の掲揚降下

    自衛官として、最も脳裏に鮮明なのは、毎朝の朝礼は、庁舎前、グランドで行われた、国歌「君が代」に合わせてメインポールに国旗が掲揚される間、挙手の敬礼をし身が引き締まった。夕方の国旗の降下は任務を無事終えた安ど感があった。以来、35年間、朝夕の課業開始、終了のたびに国旗に向って敬礼した。

 国旗の掲揚降下は、いつも何とも表現できない厳粛な気持になり、「自衛官としての自覚」・「使命の自覚」・「任務の遂行」を胸に刻むひと時であった。レ-ダ-サイトの地下室で警戒監視の24時間の交代制勤務についた時は、日勤でないと国旗の掲揚降下に居合わせる機会は少なかったが、実任務に就いている緊張感と達成感で十分な高揚感があったことを覚えている。

   退官後は、国民の祝日には自宅の玄関に国旗を掲げている。私ができない時は家内が必ず立てていくれる。当たり前のことを当たり前に行っている。

 世界各国いずこの国であっても自国と他国の国旗は尊び大切に取り扱われている。そこには国家体制や主義・主張は関係ない。世界の常識であり国際慣行と儀礼である。   

 

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