昭和の航空自衛隊の思い 出(280) 航空自衛隊の部隊章・航空き章等と飛行隊き章(シンボルマーク)

1.  航空自衛隊の部隊章・航空き章及び階級章

  航空自衛隊は昭和29年7月1日発足した。創設期の航空自衛隊は幾多の困難を乗り越え今や60年余の歴史を刻み名実ともに充実発展した。

 昭和の航空自衛隊を主題にしているので、創設期から20周年までの昭和の時代の部隊章、航空き章 及び階級章と飛行隊のき章について触れることにする。先に航空警戒管制部隊のシンボルマ-クの一部につて触れたので、創設期の航空部隊の飛行隊のシンボルマークはどんなものであったのか紹介しよう。

   航空自衛官の「服制」は、自衛隊法・自衛官服装規則・細則等によって規定されており、自衛隊自衛官の任務遂行、部隊規律、隊員の服務・身分等からも自衛隊の骨幹をなすものの一つである。

 航空自衛隊創設から20年までの建設期、昭和の時代の部隊章、航空き章 及び階級章は次のとおりであった。 

 昭和32年2月航空き章(ウイングマ-ク)制定、37年2月部隊章の制定と記録されている。

   私は在隊間に、帽章は幹部と曹士の両方を着用した。部隊章は10個の内7個を着用した。き章は幹部候補生き章のみ着用した。内務班長き章と航空学生き章は、創設期の操縦学生や内務班長にはこの種のき章が制定されていなかったことから着用することができなかった。

 

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《 昭和50年8月 航空自衛隊20年表出典 》

 

2.  飛行隊き章(シンボルマーク)

    航空自衛隊創設から20年までの建設期、昭和の時代の飛行隊き章、いわゆるシンボルマークは次のとおりであった。

 私が昭和30年6月第1期操縦学生として航空自衛隊に入隊したころには、まだ部隊のシンボルマークは見かけなかった。昭和30年12月航空団編成、31年10月第2航空団編成と逐次飛行部隊が新編されていったことから、飛行部隊のシンボルマークも部隊活動とともに次第に 部隊団結の象徴として、部隊の任務・機能等を表すシンボルマークが形成されていった。

 とりわけ、飛行部隊のシンボルマークは、ジャンバ-の胸につけ、パイロット・整備員の誇りであったように記憶している。昔は「粋なかっこ」、今風で言えば「かっこいい」だった。このスタイルは羨望の眼で見つめられ、憧れでもあった。

 部隊のシンボルマーク制定の背景には、昭和30年代の初めは、技術習得のため各分野で選ばれた幹部・空曹が米国の軍学校等へ留学した。留学先の学校‣部隊で授与された部隊等のシンボルマ-クやき章を胸に飾ったことを語り、誇らし見せてくれたものであった。こうした影響もあったものと思われる。

 創設期と今日の飛行部隊・飛行隊のシンボルマークと並べてみたら、航空自衛隊の飛行部隊の変遷の歴史と栄光の足跡を綴ることになるであろう。部隊の新改編に伴う飛行隊の所属・配置換・廃止・機種転換などの変遷と合わせて部隊のシンボルマークがいつの時点で、どのような経緯・理由でデザインが決まったのか、何を表そうとしたのか、どのように変化進展したのか、興味尽きないものがある。 

 

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《 昭和50年8月 航空自衛隊20年表出典、 創設期の飛行隊き章(シンボルマーク)は、部隊建設の数々の苦難と栄光の歴史を秘めている。》