昭和の航空自衛隊の思い 出(267) 西警団人事部長の職務

「昭和の航空自衛隊の思い出」----その時何を考え立ち向かったか 

    「昭和の航空自衛隊の思い出」を綴り始めてから今回で267回を迎えた。昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば操縦学生から転進した部内幹部出身であったということぐらいであろう。
    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は、昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
    今日の平成の 航空自衛隊に目を向けると、一昨年、創設60周年を迎えさらなる充実発展を遂げている。現職時代からの長年の懸案であり待ち望んだ安全保障体制が逐次整備されつつあり、本年は去る3月29日集団的自衛権行使を限定的に可能にする安全保障関連法が施行された。
 これにより日米同盟の抑止力は強化され、日本の防衛体制はより強固になる。自衛隊が国際社会の平和と安定に貢献できる余地も格段に広がる。本年は、日本の「安全保障体制の歴史的転換年」であり、自衛隊は部隊の編成・装備・教育・訓練等すべてにわたって発想・運用方式・対処要領を見直し、新たなる時代を歩み始めるであろう。
 
1.  昭和58年航空幕僚長年頭の辞 「航空自衛隊転機元年」 

 自衛隊時代の手帳やファイルを整理をしていたら、西警団人事部長に補職された年の「昭和58年航空幕僚長年頭の辞」を綴っていた。時の航空幕僚長生田目修空将が航空自衛隊の全隊員に対して、「航空自衛隊転機元年」として発せられたものである。じっくりと読み直してみると航空自衛隊の現状が浮かび上がり、次年59年の創立30周年を迎えるにあたって、決意と奮起を呼びかけられたものである。

 今年は「安全保障体制の歴史的転換年」としてとらえてみると、長い長い年月をかけた牛歩のごとくであったが、わが国を取り巻く安全保障環境の推移と国民の理解に感慨深いものがある。

 ザラ紙は変色し、活字も不鮮明となっているが、紙背には、当時の航空自衛隊のおかれた時代環境や何を取り組んでいこうとしていたかを理解することができる。こうした時代背景において、私も2千名余で編成する航空警戒管制部隊の人事部長を命ぜられた。

 

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2. 着任にあたって人事部長職務に対する思い

    昭和58年3月、西部航空警戒管制団司令部人事部長を拝命し、着任にあたって、「西警団人事部長のあり方」と題して手帳にB41枚が折りたたんで挟んであった。

   そこには、簡潔に項目と内容がメモされていた。内容からすると、着任にあたって「人事部長として何をどのように取り組もうかとの腹案」を認めたもので、執務の間、着任時の初心を忘れずに時折再確認したしたものと思われる。

 かって、警戒管制部隊の第一線で勤務し、かつ、西空及び総隊司令部において人事幕僚として勤務した経験から着任にあたり西警団全般の人事特性を分析し、どのようなことに、どのように取り組むべきかをまとめたものと思われる。

    この内容項目は次のものであった。

 ①離島サイト  ❶厳しい勤務環境 ❷人事交流の諸問題 ❸交代制勤務     

  ②人的戦力 ❶コントロ-ラ-    ❷運用・整備能力 ❸サイト基地業務能力 

3 .  着任後取り組んだ主要項目

   こうした事前の認識のもとで昭和58年3月、西部航空警戒管制団司令部人事部長として着任した。幕僚としては、全般状況を確認しながら団司令の方針及び意図を理解し、基本的な恒常業務をこなしつつ、各班の重点を決め具体的な実行策を固めて行った。 その重点としたものは次のとおりであった。

⑴ 人事

 離島勤務隊員の異動管理の改善

  団の最大課題である離島勤務者に対して安心・安定して勤務できる異動管理の推進

❷ 服務に関する部隊指導と事故防止

  服務に関するきめ細かな部隊指導と「服務だより」発刊による意識改革

⑵ 訓練

❶ 昇任者教育の創設と意識改革

   空曹の昇任者教育の実施と幹部昇任試験受験の指導

 実務訓練強化によるAPT合格率の向上

  実務訓練の推進と「訓練だより」の発刊による意識改革

❸ 初級幹部の鵬友への投稿奨励

  初級幹部の判断力の向上   

❹ 航空自衛隊武道大会への出場と優勝を目指す

⑶ 厚生

  隊員の福利厚生施策の推進

  離島部隊の福利厚生施策の推進と公務災害の治癒認定の促進及び《厚生だより》の  

  発刊

4.   団司令及び副司令との信頼関係

     指揮官と幕僚撮の関係は、部隊の任務行動と異なり、指揮命令関係だけでは律しきれないものがある。それは上下・両者の相互信頼であった。上下の関係というものは、かつて一緒に仕事をしたとかでない限り、両者は往々にして全く面識のないこともある。指揮官の気質・性格など十分に理解し、信頼関係が確立され、ツーカーとなるには多少時間がかかるものだ。

    人事部長として、着任時の本野順三団司令(s57.2.16~58.8.1)・副司令桜木久壽雄1佐(s57.3.16~58.7.1)にお仕えしたのは僅か4ケ月余であったが、短期間で信頼関係ができた。これからというところで交代されることになり残念であった。

    桜木副司令の元には毎日頻繁に出入りし、更に短期間で信頼関係ができたように記憶している。次の団司令正信恭行将補(s58.8.1~60.3.16)・副司令早田匡之1佐(s58.7.1~)は、要撃管制幹部の分野では有名であり、かねてから尊敬する大先輩であったせいか、もっとも早く固い信頼関係が確立され、職務を効率的に遂行することができた。

 名コンビの正信・早田体制のもとで、思い切り人事部長として働くことができたと言って過言ではないくらいであった。

 在任最後の団司令田中憲明将補(s60.3.16~)は、峯岡山の要撃管制官時代に同じ官舎地区に居住したこともあった。防大1期のナイキ幹部のエ-スと知られ、副司令が引き続き早田匡之1佐であったことから今までの延長上で幕僚補佐することができた。田中団司令とは 私の空幕勤務で4ケ月という短い期間となり残念であった。

 こうして団司令の幕僚としては、上下の期間の長短に関わらず人事部長として思い切り活動する機会を与えられ充実した毎日を過ごしたことが強く印象に残っている。ありがたいことであった。

 

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《 団司令部級(2佐職)の 部長室は、こじんまりとした部屋であった。指揮官室のようにいかめしくデンと正対した机の配置ではなく、幕僚であることから人事部長室では必ず応接の椅子に腰かけてじっくり相手の話を拝聴することに心掛けた。》