わが88歳の雑感(309) 「走る」という機能の低下と最後まで年々歳々花盛りでありたい

 歳(年)をとるにつれて、日常生活で「走る」ということが少なくなった。自衛隊現職時代は職務上と健康管理、退官後の約15年間は健康管理上から、毎日、時間をみつけてジョギングを行っていた。

    それが75歳前後から「走る」ということが少なくなった。息切れがしたりして、むしろ完全に「走る」という意欲がなくなり、その機能が低下したということであろう。

 最近は、グラウンドゴルフで、たまに、意識して「速足」することはあるが、基本的には普通の歩き速度でプレイをしている。つまずいたり、転んだりを防止するために留意しているからだ。

 そうしたことから、早朝の散歩道でもジョギングしている姿を見ると羨ましく思うことがある。子供達が元気に走り回っている情景に接すると眺めるだけでも楽しいものだ。新年の東京箱根間往復大学駅伝や2月の浜松シティマラソンなど関心を持って観戦している。

 歳(年)をとるということは、意欲、体力の低下とともに身体機能の低下が徐々に顕著になってくる。つまり、フレイル(虚弱)となり心身の低下が進む。

 これを少しでも防止するため、後期高齢期の75歳前後からは積極的に身体を動かすシニアクラブ等の諸活動に努めて参加することにしている。諸活動に参加して疲れたら、必ずその後は休養することにしている。横になってのんびりすると回復して元気が出てくる。未だ何とか復元力・回復力が残っているようである。お陰でここのところ数年間は、風邪一つ引かず、大きな病気をすることもなく過ごしてきた。

 この頃は、「走る」ということがなくなったが、全く気にしていない。瞬発力はないが、その分「歩く」ということはできるので、速さよりゆっくり、持久力・持続力で補完していると自分勝手に考えている。

 歳(年)をとるにつれて、頭脳力、視力、聴力、歯力から体力気力などの低下や失うものもできてくるが、時間はたっぷりあるので、その分おかれた環境状況に応じて自分で楽しめる趣味などの分野を深めることができるる。

 失望することはない。人生は最後まで年々歳々花盛りでありたい。その鍵は、自分自身にあるのではなかろうか。