85歳老いる雑感(107)  「老いる」ことをどのように受け止めるか

 昔から老いると、先ず脚、目と歯にくると言われている。老いの兆候は、歩行と視聴覚、歯などにあるようだ。自分の場合は、走ること、飛んだり跳ねたりすることが著しく低下してきた。

 誰しも高齢期に入ると、身体のいろいろなところの機能が低下したり、病気になったり、不具合が生じてくるものである。身体上の機能低下の箇所は人様々である。今日では、これを「フレイル(虚弱)」と言っている。

 「老いる」とはよく言ったものだ。70代前半では全く気にも留めなかったが、70代後半から様々な機能低下がわが身に現れると「老い」を自覚するようになった。

 自分の身体について自覚をすることはよいことだ。自分自身が身体のコンディションに合わせて行動するようになるからである。自覚がなかったりすると、無理をしたりすることになる。そのことが身体を痛めさらに老化を進めることになる。

 「老いる」ことは自然なことであり、徐々に「枯れる」ことでもある。どのように老いるかはどのように枯れるかでもある。これを止めることはできない生命の摂理でもある。人生の最終の過程であるからだ。

 85歳まで生きてきた見聞と経験からすると、75歳からの「老いる」は、歳・年ではないように思う。「老いる」速度、程度と内容は個人によって異なる。あまりにも個人差があるからだ。

 「老いる」ことの受け止め方、対処も人生観、価値観等によって各人各様である。私は、「老いる」ことを素直に受け止め、否定的、悲観的、消極的に考えるのではなく、肯定的、積極的、前向きにとらえていきたいと思っている。老いる日々をどのように過ごすか、明るく充実した満足感のある毎日にしたいと努めたい。

「老いる」ことの事象 

走ること、飛んだり跳ねたりの力が著しく低下

走ること

 70代前半まではジョギングをしていたが、70代後半から走ることが減り80代では全くしなくなった。今日グラウンドゴルフ時に、たまに球のところまで走ることがあるが、心臓がパクパクするので速足に切り替えている。

 幸い、「歩く」ことができる。こちらの方は、背筋を伸ばして普通に歩くことができる。

 飛んだり跳ねたりすること 

 70代前半までは縄跳びをしたり跳躍運動を行ってきたが、70代後半か縄跳びも減り80代では全くしなくなった。通常の体操は普通におこなっているが、跳躍の動作になるときつくなってくる。

 こうしたことから、梯子を登る、脚立の上に立つとバランスが崩そうに感じるようになった。大した高さでないのに恐怖感を覚えるようになったことから、極力無理をしないことしている。