わが88歳の雑感( 302) 「歩く、動く」機能の持続と自律

 高齢期の身体の調子というものは微妙である。気力、体力、特に気分は毎日異なってくる。気分が乗らない、その気にならないということは、拒絶反応であり、赤信号の一つでもある。それを無視をして行動すると体調の急変に至るものだ。

 その点では赤子や幼児に似てくる。先ほどまで元気だったのに、急に体調が急変したりするのと同じである。それでも危険信号を知らせる兆候は結構あるものだが、親や周りの者が気が付かないだけである。

 いつも元気そうに見えても、その時々によって体調は変化しているので、赤信号を体感したり、認知するのは自分自身が一番わかっている。この赤信号をうまく使いこなすことが適切な健康管理につながってくる。

 自分の身体の危険信号を体感したり、認知したら、無視したりせずに、遠慮することなく身体を休めることが必要である。人間の身体は微妙で、休養すれば自然に回復してくるものだ。個人差はあっても復元力は素晴らしいものである。

 自己の体感や認知能力が低下した者に対しては、周りが気をつけて察知する以外にない。

 そうしたことから、何事も無理をせず、体調に合わせて行動することにしている。そうかといって、あまり楽をしすぎると耐久力、持久力が減退してくる。その辺の塩梅をうまくコントロールすることに努めている。

 今年は5月、89歳となる。人間の身体は「歩く、動く」ことが基本である。この基本的な機能をいかに持続するかにかかっている。持続ができくなってきたら自然に徐々に寿命は尽きることになる。

 ありがたいことに、無任所で自由な身である。自由であるが自律が伴う。歳を重ねるにつれて、その自律ほど難しいものはない。自分を自分で律する能力が次第に低下してくるからだ。

 自律が維持できるためには、「歩く、動く」機能をいかに持続するかにかかっており、両者は相関関係にあるのではなかろうか。

 そうは言いながら、さてさてどこまで出来るか、明日のことは分からないのが高齢期である。