❶ 老いは人生の道のりの最終路、わが道を行く老後の歩み
生きとし生けるものは必ず命が尽き終わりがある。老いは人生の道のりの最終路である。悲しむことでもない。
どのように老後を歩むか、どのように毎日を過ごすか全て自分の選択であり、「わが道を行く」である。
❷ 体力、脚力、視力、聴力減退の老化の現象と自力で出来る健康の維持
歳を重ねるごとに、ことあるたびに、体力、脚力、視力と聴力が減退しつつあることを自覚している。当然の自然の摂理でもあるから、逆らうことはしないが、「やっぱりそうか」と素直に老いる現象を受け入れている。
老後において最も求められているものは自分のことは自分で出来ることではなかろうか。そのためには、健康が基盤となる。健康でなくては、砂上の楼閣であるからだ。坂道を転がるが如く、急激に老化する姿を多く見てきただけに、そうなりたくないと懸命に努力をしている自分がある。
❸ 自然を楽しみながらの朝夕の散歩と脚力、歩く力の維持
何とか健康を維持して、自分らしい生き方をしたいと努力をしている一つが朝夕の散歩である。格好良くウォーキングと言いたいところだが、ぶらりぶらりの散策であるから、散歩と称している。散歩は無理することなく、脚力、歩く力を維持するのに最も効果的であるからだ。
同じやるなら自然の風景を楽しみながらの散歩である。小型のデジカメを携行し、気に入ったところを撮影している。
❹ 視力の減退と強度の強い老眼鏡を求めるようになった
最近は視力がかなり落ちてきたようだ。薄暗いところでは小さい文字は読めなくなった。明るいところで目を近づけて新聞等を読んでいる自分の姿に苦笑いをしている。
できる限り老眼鏡をかけないで、裸眼でパソコンに向かったり、新聞を読んでいるが限界がある。普通の老眼鏡では満足できなくなりつつある。近いうちに、最近よく新聞広告で大評判と宣伝している「強い5.0度の老眼鏡」を使ってみることにしている。どんなことになるるだろうか楽しみである。
❺ 会議等で遠くの人の発言が聞き取りにくい聴力減退
日常生活や通常の会話では何の不自由もないが、会議等に出席すると遠くの人の小さい声の発言は集中して耳を傾けても聞き取りにくくなった。マイク等の配慮のあるところは支障ないが、迷惑をかけるので、この種の役職は全て引退した。
老いることは俗に「耳が遠くなる」と言われたことを実感するようになった。外見は元気そのものに見えても、身体のあらゆる箇所の老化が徐々に進んでいる現象である。
結び
以上の現象は、老いる道のりの誰もが歩む事柄であり悲しむことではない。体力、脚力・歩く力と視力、聴力等の減退について、個人差はあっても等しく老いていくものである。落胆することもない、気落ちすることもない、嘆くこともない、人生の最終路である今が一番幸せな時期であると思っている。