84歳老いる雑感(72) わが老春の日々に悔いなし

1   素直に衰えを認める

   今日は朝からグングンと気温が上がってきた。今後夏は猛暑との予報で大変な時期である。

   80歳を区切りに、若い時代から続けてきた全国的な同期生会・同級会なども閉会となった。当時は内心まだまだではないかとの思いがあったが、今日の状況から考えると正解であったと思うことがある。小規模な地区別に移行したが、年と共に参加者の数が減りつつある。その理由は、身体の不調等によるものである。

    人間の身体は歳を重ねると衰える。身体の不調は歳を追って広がってくるものだ。私も当たり前のことを、自分自身が素直に受け入れるようになってきた。やせ我慢や強がりは通用しなくなったからである。

2   老いの中の元気印

   84歳にして、いたって元気ではある。食欲旺盛、毎日地域に関わる活動を行なっている。

今日の場合、午前社会福祉関係の会議に出席して、午後はシニアクラブの水曜会・輪投げ、夜はホテルでの会合に出かけた。

   やること、行くところが多くて、テレビの子守をしている暇がないので、どうしても視聴したい番組は録画しておいてゆっくりあとで観ることにしている。

    歩く姿勢も、スピードは少し落ちたが、トボトボではなく、スタスタと胸を張って歩くように心がけているので、側から見ると、元気爺に見えるらしい。

   実際は見かけだけである。気は若いようでも人間の身体は歳相応に、徐々に身体の内側から老いる諸現象が現れてきた。それは70代ではあまり感じていなかったが、80代になってから膝と肩機能が著しく低下してきた。

   そうかと言って、驚くこともなし、当たり前のことだからだ。やってくるものがやって来たといった感じで、自然にそれを受け入れるだけである。

3  正座が苦痛になってきた

   80代になって、著しく低下した機能の一つは、正座である。いくつになっても、「立つ、歩く、座る」の機能を保ちたいと願ってきたが、その一角がある崩れ落ちたようだ。

   一般的な座る機能においては何の問題もないが、正座が困難となってきた。70代までは正座は全く問題なくできた。他の人が正座をやらなくても自然に座ることができたが、80代に入ってから次第に正座すると左膝関節が痛くなってきた。右膝は大丈夫なので片膝で座ることはできるが、正座は苦痛の一語に尽きるので、この頃では、和室での法事などでは座椅子を用意してもらっている。

    今のところ、立つ、歩くの機能は全く問題なく、2時間ほど続けて歩くことがある。

4   右肩の痛みが出るようになった

   右手が利き腕である。したがって、パソコンから農作業支援まで右腕・右肩を最大限使っている。70代までは何の問題もなくきたが、80代から使いすぎると・ 少しずつ右肩がこって全体に激痛が走るようになってきた。

    こうした時は、横になって休むと自然に治る。要するに使いすぎると止めてくれとのシグナルのようなものである。

   こうしたことから、最近は意識して使いすぎないよう心がけるようようにしている。

5  老を楽しむ老春の日々

    歳を重ねると、加齢と言われるごとく、いろいろな箇所に故障がでてくるであろうが、へこたれてはならないと思っている。老いるとはこういうものかと体で感じている。当たり前のことだからだ。これまた、老いを楽しみながら毎日を過ごしていきたいものである。

    これからは、次第に動から静へとゆっくりした毎日に移行していくであろう。老いることは人生の終盤に差し掛かっていることを意味する。前向き、積極的に物事を捉えらえると、そこには「老春の日々」がある。「わが老春の日々に悔いなし」でありたいと努めている。