84歳老いる雑感 ( 73〕 健康で普通に暮らせることが幸せ

    84歳となって、妻との話の中でお互いによく出る言葉が「健康で普通に暮らせることが幸せ」と言うことである。

    全く平凡な事柄であるが、歳を重ねるにつれてその言葉の重みが増してくる。

   莫大な資産・名声・豪華な邸宅・高級衣装・装飾品・高価な食べ物などあればあるに越したことはないが、庶民には夢物語である。人生の終盤から見れば、人間の欲望であって儚いものである。

    高齢になれば誰もが持つ多少の病や障害があっても乗り超えて、元気に普通に過ごせる生活を営むことができれば幸せと感じるのではなかろうか。

    高齢者にとって、「普通に暮らせる」ことは、平穏な日々が送れるということである。

時にはさざ波が立つことがあっても、しばらくすると静かになることの繰り返しである。

    普通に暮らす中に、いかに自分らしい生き方を取り入れるかである。他人を真似ず、うらやまず、妬まず、邪魔をせず、わが道を歩むだけである。

    いまの私は、もう少し地域社会のことに関わり、自分の役割を果たし、趣味を楽しみ、子供や孫たちの行く末を見守りたいと思っている。

    シニアクラブなどの主導的な役割は、早く次にバトンタッチしたいが、なかなか後継者が決まらず延び延びとなっているが、いましばらくであろう。

   高齢期において、自分流の生き方が多少でもできることは幸せなことである。やはりその根源は健康にある。2回も癌になったりしたが、乗り越えることができた。今のところ、まだ自分の意思で、自分のやりたいことができる体力と気力があるからである。

   人生の終盤はロウソクの火と同じである。自分の体が動けるうちが花であるとつくづく思う。

    「健康で普通に暮らせる」ということが、いかに人生の終盤に大切なことであるかを強く感じ、感謝の念がいっぱいである。