86歳老いる雑感(231) 自分にとって宝物も他人にとってはゴミでしかない

 長年にわたって、その都度購入してきた書籍やカセットテープを整理するのに一日中を費やした。実際に処理をしてみると、いかに処理が大変かを感じた。

 今までに、亡くなられた方の遺品整理の実態を見てきた経験からも、本人にとっては宝物でも、残された者にとってはただのゴミでしかなく、ゴミとして業者によって処理される実態を見聞してきた。むしろごみ処理に相当の経費を必要とする時代となってきた。

 整理した書籍については、古本屋さんに見てもらったところ、引き取ってもらえるものはほんの僅かであった。要するに今日においては、特別なものを除きあまり需要がないということである。

 したがって、最終的には、資源ごみとして処理することにした。自治会が設けた資源ごみで処理することにした。地域にこうした処理場所があることはありがたいことである。

 かって、ある人は「人間も死ねばゴミとなる」と発言して話題を生んだ。そこまで割り切ることはできないが、一般・素人個人の趣味等の所有物は多くが資源ゴミどころか粗大ごみとなる可能性が高いことは事実である。

   今回の一部の書籍、カセットテープの処理経験から、自分に体力気力があるうちに自分で判断して処分することを実行してみた。今だからできるのだということを実感した。年齢を考えるとそう悠長に構えている余裕は少ない。

 ものは考えようだ。書籍にしても、カセットテープにしても自分にとって十二分に働きをして役立ったわけで、その役割を終えることになる。お陰で自分の思料を深め、仕事や日常生活に役立ち、楽しくかつ充実した人生を送ることができた。むしろ「ありがとう」と感謝してお別れする運命にある。こうしたものはあの世に持っていけないからだ。

 何事も愛着が強ければ強いほど、キッパリと区切りをつけるときは自分で決断することが求められる。これがお世話になってものに対する礼儀でもあるように思う。

 むしろ、自分の手の届かないところで処分が決められたり、他人の手を煩わすことになる。自分が生きているうちに対処すべきではなかろうか。

 今回の作業は始まりであり、これから人生の最終期に向けて、自ら判断、選別、処理することが多くなるであろう。本格的な作業を通じて、相当な体力気力と長時間を要することを経験し、とても良い勉強をさせてもらった。

 「 自分にとって宝物も他人にとってはゴミでしかない。」ことを銘すべきである。