85歳老いる雑感(104)  高齢期を生きる一人としての思い

 「少子高齢者社会」が進むと共に「人生100年時代」が話題になるようになった。毎年9月の「敬老の日」になると、統計的に高齢者の占める割合と100歳以上が何名になったとメディアで報道される。高齢化が進むに連れて、近い将来100歳以上の高齢者が増加することは間違いないであろう。

 自分が何歳まで生きるかなど分からないが、現実に、両親の寿命83〜84歳を超えてみると、ただ長生きできたからありがたいだけではなくて、これからどのように生きるかということと終末をどのように迎えるかの二点が焦点となってくる。

 この命題は、各人各様であって、明確な答えがあるわけではない。自分で導き出し自分の考えで進む以外に道はない。

❶  生命があることはありがたいことである。

 人間の生命はいつか果てるが、そのいつかは神様、仏様のみが知ることで誰にも分からないことである。生命があることはありがたいことである。いつの日か、生きたい、生きたいと願っても、逝かなければならない日がやってくる。

 70代でがんを2回経験したが、現代医学と天命で生命をいただいている。誠にありがたいことである。

❷  今日あるは、親兄弟と家族、皆さんのおかげであり、感謝する。

 この世に生を受けてから、間もなく迎える86歳の今日まで生きることができた。この間、末っ子として両親をはじめ兄姉の温かい愛情に育まれた。社会人として、家庭を作り、仲間に助けられ35年余にわたり国家防衛の任を全うした。

 今日、地域社会にあいて、無事に過ごしている。すべては皆さんのおかげである。

❸  生きているうちにやれることはやっておきたい。

 かって、四国のお遍路の旅に出たことがある。感謝と報恩の旅であった。生きているうちに感謝と報恩につながることをやれることはやり遂げたいと密かに心のうちに誓った。

 そのためには、健康であることが一番である。元気であれば、自分の思うことをやり遂げることができる。地域社会における活動も、趣味活動もその思いが原動力となっている。

 人間には寿命がある。やれるときにやっておきたいとの思いが強いこの頃である。