平成17年(2005年)4月、地域の神原町自治会長に就任して以来、毎月5日と20日の2回、「神原町自治会ニュース」を編集発行した。歳月が過ぎるのは早いもので15年が経った。
わが町に「自治会ニュース」が創設発行されるようになってから、現在に至るも継続されて情報連絡紙として大きな役割を果たしている。
「神原町自治会ニュース」を通じて、地域社会に生起する諸問題、自治会活動及び運営や地域の話題や町内で黙々と献身的に活躍する人々などを中心に、どのような問題に直面して、どのように対処したかを回顧してみたい。
自治会・町内会の運営と活動は、時代、地域によって状況は様々であるが、共通するものがあるのではなかろうか。そうした視点からすると現在及び将来において、自治会・町内会の会長、副会長、会計の三役などの役員として活動される方々に参考になる点もあるのではなかろうかと思うものである。時代の進展とともに自分たちの住む町の自治会・町内会は常に新しい課題に直面しながら前進していくものであるからです。
❶ 平成18年度第1回防災訓練 現状確認と機能発揮を重視した訓練
平成18年度第一回の防災訓練は、5月7日(日)07:00~0830、実施しました。防災隊長たる自治会長としては、いかに非常事態に有効に機能させるかを重視して、1年間の経験から諸課題を着実に一つずつ解決しながら前進することにしました。
自主防災隊の構成メンバーの主力である自治会役員の部長以下の班長などが新メンバーとなったことから、自主防災隊編成・役割分担及び活動要領、可搬ポンプ操作訓練・機器の整備、町内配置の消火器等及び格納箱の事前点検と結果報告のほか各部ごとに分かれて、諸動、装備資機材等の問題点と対策について話し合いました。
具体的な改善点が明確になり着実に前進しました。訓練形式及び内容は、毎回同じではマンネリ化しやすいことから事前の諸準備に万全を期することにしました。
❷ わが自主防災隊の課題は何か
神原町自主防災隊の課題は次のとおりでした。
①自主防災隊の構成員が、消火部を除いて全員が自治会役員であることでした。
②自治会役員=自主防災隊メンバーであることから、要員の選定確保、指揮連絡・意思疎通が容易である反面、非常災害において本来の自治会活動の遂行と自主防災隊の任務役割を同時に果たし得るであるであろうか懸念されました。毎年部長、班長の交代に伴い自主防災隊を再編成し、一からの訓練開始と継続性に課題を抱えていました。
③隣町の西山町は、自治会と別個の自主防災隊を編成しておりました。この利点は、自主防災の専任要員であり、指揮運用と部門の訓練、練度、非常時における体制に馴染むものでした。
④長年の実施してきた体制を変えることは難しく、とりあえず、装備資機材の改善充足から始めることにしました。自治会長在任3ケ年では自主防災隊の抜本的な編成問題を検討、筋道をつけることができませんでした。
⑤今日振り返ってみますと、非常災害時における自治会活動と自主防災隊の活動にどのような問題が生じるのか、問題があるとすればどのように解決したら良いかの調査研究が足りなかったように反省しています。
⑥今日、神原町は古くて新しい町として、若い人たちが増えた発展する町であります。自治会・地域の諸課題は時代の進展に対応して生じてくるものです。新しいまちづくり発想で、現在将来を洞察して、この問題もいつの日か総合的な調査研究、検討がなされるべきではなかろうかと思います。
❸ 防災資機材整備計画の推進 計画的かつ継続した資機材の充足
△ 平成17年度に作成した防災資機材整備計画(5ヵ年)は、基本方針に基づき年度ごと着実に進捗することに努めました。
毎回の防災訓練の教訓と反省を反映して、資機材の充足につとめました。訓練の最後には防災隊員の話し合いの結果を取り入れて,2年目の本年度計画をきめました。
特に本計画においては、初動の消火活動を円滑にするため、消火栓ノズル4本、ホ-ス5本、メガホン,トランシ-バ-など約27万円を充足することにしました。(当年度の浜松市からの補助は、75,000円でした。)
❹ 神原町の成り立ち その8 ル-ツを探る
その7の要約 神原町名の由来等 ◇「神原」の名は、昭和23年3月部落発足準備会の席上、原田明一氏(奥二)の「神原」が全員の賛同を得て決定したといわれています。 ◇「神原」の由来は、分離独立前後の隣保・地区名「北神」「原山」や生活の基盤である土地・地区名を大事にした点から考えると、当時の隣保・地区名から総合的に命名したとも考察できます。また、神ヶ谷地区内であったことから神ヶ谷の「神」、神東・神中・神西・山の神などの「神」と並んで、「神」にこの地区の通称「原山」の」原」をもって命名したことも考えられます。 ◇先人たちは「神原」という歴史を漂わせる立派な名前を付けてくれました。私たちは子々孫々に至るまで誇りにし、大事にしたいものです。 |
◆ 昭和31~33年度の自治会役員
神原町発足初代の役員は、22号で紹介しました。第2、3、4代目の役員は、次のとおりでした。
|
31年度 |
32年度 |
33年度 |
|
会 長 副会長 部 長 |
野寄力一 井島惣平 池谷 武 |
池谷 武 井島静雄 野寄力一 |
井島惣平 井島睦次 池谷喜太郎 |
|
組
長
|
奥一 奥二 北神 原山 榮 雨溜 |
井島静雄 井島克己 井島新太郎 野寄力一 竹本小松 和久田勝男 |
池谷英雄 池谷喜太郎 原田忠俊 島村 宏 稲田隆次郎 鈴木辰夫 |
井島光司 池谷偆一 井島克三 池谷季平司 小澤富雄 高橋金次郎 |
納税組合長副組合長 |
井島睦次 原田宇吉 |
長谷幹男 高橋重太郎 |
長谷幹男 高橋金次郎 |
|
◆ 町名余話
△まちづくり委員会で、花いっぱい運動についての話し合いの中で、長老の井島隆司さんから、神原町誕生前は、この地域は野生のつつじが群生していた。町名を決定するときに「つつじケ丘町」も候補に上がったりしたとのことでした。県や市に花の名があるように、「神原町の花」を選定しょうと検討されていますが、その有力候補に「つつじ」が上がっています。ロマンと歴史のあるまちづくりを感じさせるものがあります。
◆次回は、神原町誕生後の世帯、人口を中心に探ってまいりましょう。