平成17年(2005年)4月、地域の神原町自治会長に就任して以来、毎月5日と20日の2回、「神原町自治会ニュース」を編集発行した。歳月が過ぎるのは早いもので15年が経った。
わが町に「自治会ニュース」が創設発行されるようになってから、現在に至るも継続されて情報連絡紙として大きな役割を果たしている。
「神原町自治会ニュース」を通じて、地域社会に生起する諸問題、自治会活動及び運営や地域の話題や町内で黙々と献身的に活躍する人々などを中心に、どのような問題に直面して、どのように対処したかを回顧してみたい。
自治会・町内会の運営と活動は、時代、地域によって状況は様々であるが、共通するものがあるのではなかろうか。そうした視点からすると現在及び将来において、自治会・町内会の会長、副会長、会計の三役などの役員として活動される方々に参考になる点もあるのではなかろうかと思うものである。時代の進展とともに自分たちの住む町の自治会・町内会は常に新しい課題に直面しながら前進していくものであるからです。
1 神原町の防災体制及び防災訓練の充実
12月6日・日曜日・防災の日早朝、コロナ禍の制約下において、本年度の第3回の防災訓練が行われました。緊急時の避難誘導計画に基づく全世帯参加の防災訓練でした。
各世帯は玄関付近の目立つところに黄色いハンカチを取り付け、午前7時に各班ごとに決めている一時避難場所に集合しました。
黄色のハンカチは、災害発生時に家族全員無事ですとの表示です。この訓練は実動を想定した訓練のため、1世帯1名の参加でしたが、世帯全員が集合した心づもりで班長に世帯人員を伝えるものでした。
今回の訓練は、各班ごとでしたが、訓練の成果はどうであったであろうか。時代の進展とともに、隣近所の付き合い、親密度などは次第に希薄になってきています。さらに近時のコロナ禍は近隣活動を阻害しています。
しかしながら過去の大震災の教訓は、大災害発生時に命を守るためには隣近所の助け合い、絆が一番であったと言われています。
大災害から遠ざかると、いつの間にやら緊張感や教訓などが忘れられてくるものです。ましてや、当地は東南海地震の危機が叫ばれながら、今まで災害が発生していないため、危機感が希薄になってきます。災害は忘れた頃にやってくるの至言を胸に秘めて、こうした訓練の機会を利用して災害対処を再確認することが必要ではないでしょうか。
振り返ってみると、私は航空自衛隊出身でしたので、第25代自治会長に就任して始めたことは、従前の訓練内容に更に実戦的な訓練内容を取り入れることにしました。防災機材も5ヶ年計画を策定し計画的に充実することに努めたことが思い出されます。
私の後に、第26代自治会長に航空自衛隊出身の相佐末吉氏が就任して、黄色のハンカチや避難所運営訓練などが設けられました。現在の第28代自治会長は、同じく航空自衛隊出身の犬飼一裕氏、危機管理には人一倍造詣が深いので、こうした視点から新たなる発想で防災体制の充実に取り組んでいます。
わが神原町の自治会長には、すでに、鬼籍に入られましたが、航空自衛隊出身の大先輩、第16代の桑原善明氏、第17代の東條省治氏がおられます。
東條省治氏は、自治会ニユースn o36で取り上げた「緑豊かな住み良いまちづくり活動」当時の自治会長を務められました。昭和63年当時のまちづくり活動は、先進的で画期的なことでした。町民並びに各種団体を率いて、当時これだけのことをやり遂げた活動に敬意を表します。
自衛隊勤務者が定年退官後、終の住処である神原町において、皆様の推挙により自治会長となり、住民の皆様の理解と協力を得て地域活動に従事できたことに感謝いたします。
今日における自治会長は地縁にかかわることなく、先頭に立ってまちづくりに献身してくれる人材が一層求められているように思います。
❶ 家族の無事を示す 黄色いハンカチ
❷ 新設のホ-ス格納箱(消防車到着までの間、畑管を利用して放水できる)
2 神原町の成り立ち その19» ル-ツを探る
その18の要約
◇お祭りの華・屋台引き回しの主役は、祭り青年会で、会長は島村正義氏以下総勢38名で、将来神原町を背負って立つ逸材揃いです。
◇お祭りはまちづくりの原点、明るい地域のコミュニティ作りのためにも、よき伝統は受け継ぎ、新しい発想を積極的に取り入れて町民全員が参加し、楽しむお祭りを育てたいものです。
祭り屋台るまでのを建設するまでの経緯
🔸祭り屋台
屋台は、平成3年10月落成しました。その主導者は、町の重鎮・井島睦次氏であり、氏子の皆さんが結束して屋台建設の事業は達成されました。
🔸お祭り屋台の建設に至るまでについては、紙面の関係から割愛し、当時の関係者に神原町50年史の編纂で取り上げていただくことにしております。
公会堂内に掲示されている15年前の記念写真です。
🔸町の長年の宿願が成就し、落成の喜びが伝わってきます。
🔸屋台は、牛車の上に中尻建築の中尻武男氏が神ヶ谷の屋台を参考にして75日かけて檜、米松、杉を使い手作りされたものです。地域のために奉仕され苦労されただけに毎年秋には屋台を目にして感慨ひとしおのものがあるとのことです
【所感】
今年の夏祭りや秋祭りは、コロナ禍対処のためにすべて取りやめとなりました。「神原町50年の歩み」は、予算の関係等もあり、収集したカラ-写真をかなり省略しました。いつの日か今日の分を含めて、さらに充実した「神原町の歩み」が編纂されることを期待しています。
平成18年11月20日