元自衛官の時想(83) 74年目の原爆の日に寄せて

   令和となって、8月6日、広島は被爆から74年の「原爆の日」を迎えた。

    昭和の時代は遠くなってしまったが、広島の陸軍にいた長兄が被爆し、命絶え絶えで鳥取県の我が家に突然たどり着いた日の夜のことは、小学生であったがよく覚えている。背中が焼け爛れて痛々しい姿であった。

    昨日は、広島で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれ、新聞とテレビの特集を視聴した。

    式典には被爆者のほか安倍晋三内閣総理大臣や92カ国と欧州連合(EU)の代表も参列した。松井広島市長は核兵器絶滅と世界恒久平和の実現を訴えた。

    安倍総理大臣は挨拶で、「「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けることは、令和の時代にも変わることのないわが国の使命」と挨拶した。

   当時のことや航空自衛隊第1期操縦学生基本課程で昭和30年に被爆10年後の広島研修をしたことと重ね合わせながら、改めて原爆の犠牲者への鎮魂の念とともに、平和への思いを胸に刻んだ。

   世界の状況を今日に至るまで、見守ってきたが、いかに平和を守ることの至難さを痛感する。かって自衛官として身をもって34年余勤務しただけに平和への願望は人一倍強いものがある。とりわけ、平和を守るためには何が必要かを実勤務を通じて考え体得して来た。

    戦後の空想的平和論では、決して対処しきれないのが現実の世界である。今日の日本を取り巻く安全保障環境は刻々と変わり、一層厳しいものとなって来た。将来にわたってこのことは変わらないであろう。

    平和への思いや核兵器廃絶の思いは尊く大切であるが、その思いを唱えるだけでは平和は守れない冷徹な現実がある。

    核廃絶一つにしても、理想論ではなく、現実の冷徹な国際間の実相を直視し、唯一の被爆国としての立場から世界各国をリードしていく責務があり、現実的・効果的な行動が強く求められているのではなかろうか。

  そのためには、先ず国家の骨幹を揺るぎないものにしていくべきである。国家の安全保障政策一つとっても国論は一致せず、未だふらふらしている現実がある。

   今こそ、他国に言われるまでもなく、自らの国は自ら守るという自主独立・防衛の基本に立ち返り、わが国のありよう、国家基本問題を国民がこぞって真剣に考える時期に差しかかっているのではなかろうか。待ったなしである。

    このことは、心ある識者・政治家・政党等から提唱されてきたが、具体的な議論に発展してきていない。国家の基本となる憲法などについて国政の場で大いに議論してもらいたいと願うものである。国民をリードする政治と断固たる信念と指導力のある政治家が最も求められている。

    刻々と激動する現実の世界情勢の変化に対応できる国家の存立があって、国家・国民の安定と繁栄があり、積極的に世界の平和に貢献することができるのではなかろうか。

    戦後言われてきた「普通の国」になるのに欠けているものは何かは明白である。自分の国は自分で守ることである。当たり前のことである。しかし、当たり前のことが当たり前でなくなっている。どのように自国を守るか真剣に考えれば、自ずと自主独立を骨幹とした方策は見つかるものである。