山門の人生の教示   口に怒れども眼には笑みを湛える

  新たなる時代、令和の6月1日早朝、菩提寺天龍山洞雲寺に墓参りをした。今月の天龍山洞雲寺の山門の掲示は、「口に怒れども眼には笑身を湛える。」であった。

    怒ると叱るではかなり違いがあるが、ここでは、「怒る」を「叱る」に置き換えた方が座りが良いように思える。また、「眼」と「目」も同じものととらえた。あまり厳格に言葉じりを捉えなくても良いように思ったが、どうであろうか。

 顔の眼と口は、表情の一番現れるところである。人間は相手に怒れるよなことがあっても温かく見守っていこうと思う心があれば、口でおこることはあっても、慈悲のまなこで見守るものである。また、怒る動作からは良い人間関係は生まれない。むしろ破綻に繋がることが多いものである。

    また、一方、相手に愛情を持った表現の場合は、ぐっと口元を引き締めていながら眼では優しさと微笑むしぐさがあるものだ。これなどは昔から子供を叱る時の大人の態度であった。

    いずれにしても、「目は口ほどに物を言う」という言葉が全てを物語っているように、日本人の国民性であるように思える。

   このことに関して、ネットで調べていたら、「目元の表情を重視する日本人と、口元の表情を重視する欧米人」というのがあった。

   その見方は、顔文字やアニメなどからも、日本人は感情を表現するときに口よりも目元を重視し、欧米人は目よりも口元を重視するという傾向が見えてくるとの意見であった。なるほどこうした見方もあるものだと深く感じ入った。

   幼い子供を叱るときは、口で「○○したらダメだよ」と言いながら、目は優しさで諭す表現方法が最も効果的であるように思える。

   口も眼も怒りと憎しみからは、愛のある人間関係は生まれず、良好な人間関係は築かれないものである。

   私たちの日常生活は、怒れることが多いが、仏様のような慈悲の心から人間関係・家族関係が培われていくものではなかろうか。

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《  浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺山門の掲示