がんとの闘い(21)  ありがとう

11月7日

11月5日退院し自宅で静養している。ぼつぼつ動こうかと身体がむずむずしてきたようだ。回復が順調な証でもある。

 

入院日記

 入院間はこまめに日記をつけてきた。毎日24時間の出来事をベッドの横にノ-トとポ-ルペンを置いてその都度メモしてきた。適宜、印象に残った出来事、気がついたこと、感想などを書き留めておいた。

 最初の検査、次いで左腎尿管全摘出術、今回の経尿道的膀胱切除術と3回の入院を記録してきた。

 特別これで何かをしようという思いはなく、その時々の心境をメモ的に残してみたものである。

 人の記憶や感情は刻々と変化し、忘れ去っていくものである。

かってNHKの連続放送劇「君の名は」の毎回の冒頭のセリフにあった、「忘却とは忘れ去るものなり」のことばに言い表されている。名ドラマとは全く異なるが、冷徹ながんとの闘いもわが人生の一つでもある。

 

ありがとう

 入院間、どの患者もどの場面でも、看護師さんの看護を受けるたびに「ありがとうございます」「ありがとう」と言っていたのが印象に残っている。病棟における医療従事者の皆さんに対しても同じである。

 この言葉はなんていいい言葉だと思う。入院すると自分で出来ないことが多いものだ。医療看護に関してはすべてお任せするしかない場面が多い。

 私もそうであった。特に、手術後のからだを動かすことができない時は、すべて看護師さんの介護に頼るしかないものだ。

 特に、物音一つしない深夜において定時・随時黙々と看護業務を遂行している姿に接するとき、大変な仕事であると思うと同時に「ありがたい」と感謝の念でいっぱいであった。

 入院して、病床に横たわって、自然に発する素直な人間のことば、「ありがとう」という言葉は、本当に響きの良いことばである。

そこにあるものは、治療看護に対する感謝の気持ちだけである。

 

「おともだちとおわかれだね」

 泌尿器の疾患の場合、膀胱内に管がつくことが多い。入院3回とも管がついた。術後しばらく残置されるが違和感と時には苦痛もあるが、創意工夫して上手に付き合っていくと和らげもできるようになる。 

 何もないのが一番いいだけに管が抜ける楽になるものだ。この管の残置によって尿が自然に排出され、次第に機能が回復していくものである。

 2回目の入院の時、ある先生曰く、ぼつぼつ管が抜ける時期になったら「おともだちとお別れだね」とおっしゃった。

 毎回の入院の度に、数日間は管というお友達と付き合わざるを得ない状態が続き、この病気では避けて通れないおともだちであった。

 本当に面白い表現であり、患者の苦しみ、喜びも悲しみをいっしょくたにした言葉であった。

 数日間付き合ってくれたお友達「管くん」に感謝しつつお別れした。