わが88歳の雑感(288) いつまでも続くと思うな寿命と身体

 後期高齢期おいて最大の関心事は、元気に生活できるかどうかである。この20年間、シニアクラブの会員として、いつも若々しく溌剌と元気であった先輩の皆さんが、歳を重ねるにつれて、段々と弱くなり、退会して介護施設へと移っていく様子を間近に見てきた。

 また、元気だった同年輩の仲間が、転んで怪我をしたり、病気で入院をしたら、それを機に一挙に老けてしまい、姿を見せなくなる状況に接してきた。

 後期高齢期は、みんな元気そうでも、ちょっとしたことで心身の衰えが急激にやってくるものである。子供の頃、よく昔話で、一夜にして白髪の老人になる御伽話があったが、それと全く同じである。

 わがシニアクラブは、毎週のグラウンドゴルフ、輪投げ、ポッチャ、リアル野球盤などスポーツ諸活動の上位成績を地元の中日新聞静岡新聞のスポーツ欄に掲載していただいている。

 筆者の場合も、よく名前が載ることがあるので、元気で頑張っているねえと多くの知り合いから声をかけられることがある。また、自分も知人の名前を見つけて健在であることを確認している。逆にしばらく名前が出ない時にはどうしたかなぁと思ったりすることがある。

 現代医学で生存すること自体はできるであろうが、最後まで自分の意思と身体でやりたいことをやれることを望んでいるが、高望みであろうか。ピンピンコロリとなりたいが欲張りすぎであろうか。

 家の中に閉じこもらないで、家族と語らい、自由に散歩し、自然を眺め、地域のシニアクラブ等の諸活動に参加し、パソコンでブログを書き、テレビで好きな番組を観て、楽しくる過ごせる健康寿命をいつまで保持できるかどうかである。

 最近は、疲れたら横になることに努めている。横になって新聞を読んだり、スマホを開いて、内外の情勢や出来事を知ったり、眠ることをしているので、身体を動かした分の休養回復がうまく調整できているようである。

 「いつまでも続くと思うな寿命と身体」である。人生の最終コースはいつなにが起きても不思議ではない。今日の健康寿命をいかに持続するかに心がけているが、その結果は天命でしかない。こうした自覚と報恩感謝しながら毎日を過ごしている。常に爽やかな気分でいたいものである。