わが87歳の雑感(271) 生きとし生けるものには寿命があることを認識し、自分に残された寿命を頭と身体をもって有効に使いこなしたい

 今月は小生の誕生月、間もなく満88歳を迎える。なき両親の寿命をすでに超えて4年、5人の2兄3姉のうち姉一人と一番下の自分の二人だけになってしまった。

 生きとし生けるものには寿命がある。生命は有限である。最近の関心事に「自分はどれだけ生きられるかということより、どれだけ自分のことは自分で出来て、元気でいられるか」という問いかけである。

 人生の終末期に入って、願っていることは、「意識もなく、延命措置により.ただ生きているだけにはなりたくない」ということである。

 それでは、自分のことは自分でできて、元気でいるにはどうしたら良いかということになる。いまさら他人の真似をしたり、本で学ぶこともない、サプリメントを飲んだり、健康機械に頼ることもない、現在の生活環境の中で、自分の考えで、自分に合ったやり方で毎日元気を維持することに努めている。一にもニにも自分の頭と身体を使って実行あるのみである。

 現在実行していることは、朝夕の散歩と記録写真撮影、写真クラブへの勉強会参加と作品作り、作品展への出展、シニアクラブの諸活動への参加と仲間との交流、出来るだけ社会見聞に出かける。パソコンやスマホを使って、毎日ブログを書いたり、時想や雑感をまとめてみる。体力気力の続く限り地域社会における奉仕活動を行うなどである。

 健康を維持するには、頭と身体を酷使すぎてはいけない。身体の負担でキツく感じてきたら、時間があれば身体を休めることにしている。疲れたら横になって休養すると元気回復するものだ、復元力の維持である。

 こうしたことをどこまで続けられるかわからないが、体力・気力のある限り持続したいと思っている。

 満88歳を迎えるにあたって、あらためて「生きとし生けるものには寿命があることを深く胸に刻み、残された寿命を頭と身体をもって有効に使いこなしたい」と思う。