わが88歳の雑感(275) 「生かされた人生(命)」から「残された人生(命)」へ

 わが人生は、大きな節目となる満88歳となった。振り返るとき、70代は3つの大病に直面したことから「生かされた人生(命)」と思い、今日まで地域社会の諸活動に専念してきた。

 今後を展望すると、「生かされた人生(命)」から「残された人生(命)」と言える。

 「残された人生(命)」はわずかである。何とかして、残された人生は、自分の意志と体力気力で自分のことは自分でできるようにしたいと固く心に決めている。

 こうした自分の思いに関わらず、老体の身は明日の事は分からないが、固い決意を持続しながら気楽に楽しく過ごしたいと思っている。

 そうした面では、特別な心配事もなく、夫婦がそれぞれ自分の好きなことをして過ごしているから幸せと言える。

 その基盤をなすものは、健康であること、元気でいることだ。病気になれば医師のお世話になるが、日常生活では、できる限り自分で自分の心身を管理することに尽きる。多少の不具合はあるが、乗り切りたい。

 それには、積極的に、毎日身体を動かすこと、使うこと、頭を使うこと、調子が悪かったり疲れたら休むこと、細事にとらわれず、何事にもクヨクヨしない、前向きに物事を捉えて対処すること、明るく楽しく過ごすことではなかろうか。

 「残された人生(命)」は、周りに迷惑をかけず、老害を発せず、自分らしい生き方を目指して毎日を過ごしたいと思っている。