山門の人生の教示  他人にはやさしく 自分には厳しく

 7月1日、早朝天龍山洞雲寺に参詣しお墓に生花を供しました。山門の掲示は「他人にはやさしく自分には厳しく」でした。

 物心ついた頃から「他人にやさしく、自分には厳しく」と教えられてきたように思います。こうした趣旨のことを、親から先生からも教えられたような気がします。

 実社会に出てからは、そのように努力してきました。特に、自衛隊生活と勤務においては、集団行動を主体とするだけにすべて実行動をもって率先垂範を旨としてきました。80余年の生涯を通じて、「他人にやさしく、自分に厳しい人」は、総じて他人から信頼される人、好感を持たれる人であることは間違いないように思います。

 この言葉は「他人にやさしく」と「自分に厳しく」を分けてみると分かりやすいようです。

  他人にはやさしく

 「他人にやさしく」は、対人関係において言葉使いや行為が柔らかく、親切丁寧であれば、人間関係が良好となります。心のこもった言葉や激励は人の心を明るくしてくれます。

 一方、とげとげしい言葉と行為、怒鳴り、叱責、罵倒、非難の言葉からは憎しみと反感、不信感などにつながり対人関係を悪くするだけです。そこにはお互いに相通じ合うものがないからです。他人への憎しみ、嫉妬、離反を謀る、陰惨な行為、信頼を裏切る行為などは人間関係をさらに悪くしてしまいます。

 こうしたことは理屈ではわかっていても、人間には感情があります。人は神様、仏様のように柔和な顔や声、行いをする一方、悪魔か鬼のように変わることができるのが人間ではないでしようか。それをうまくコントロールしているのが理性と言われるものではないでしょうか。

 「他人に対するやさしい心」は、本来人間が持つ徳性であるように思います。奉仕、感謝もそこから生まれてきます。

❷  自分には厳しく

 「自分には厳しく」は、実に難しものです。物事に対する考え方、日常生活における行動、取り組み、研鑽努力など世事万端にわたって、決められたこと、自分に課したことを実行することは必ずしも容易ではありません。

 最初は守れても、ついつい自分に対する甘え、天邪鬼が幅をきかしたりするものです。自分を厳しく律しているようでも側から見ると全くなっていないことがあるものです。人間は強いようで、弱さや脆さを持っています。これが人間の本性でもあります。

 世の中の多くの人は、何事にも自分を厳しくして、自分を律しています。とりわけ、指揮者、管理者、監督者、指導者の立場にある人は、他人以上に自分を厳しく律しております。そこに自ずと信頼感と信用を生み出してくるものではないでしょうか。

❸ 高齢になってから

 家人によると、若い頃や現役時代は自分に厳しかったのに、高齢となり歳を重ねるにつれて自分に甘くなってきていると言われています。団体の責任者としての立場ではあまり変わりないようですが、家庭生活では、歳を取ったから、体力・気力が低下してきたからこのくらいはいいだろうという自分に対する甘えであるようです。これからはこうしたことの繰り返しのような気がします。

 こうしたときには、しばし立ち止まって、他人に迷惑をかけていないか、自省して自分を律していきたいと思います。

❹  他人にはやさしく、自分には厳しく

 掲示の言葉を拝見して、ハッと自省することが多いように思いました。人間の生き方としては、「他人にはやさしく、自分には厳しく」でありたいものです。

 人間は生きている限り、社会生活の基本は人と人との関係をいかに良好に保つかが一番大切な事ではないでしようか。楽しく快適な日常生活、職業生活、集団生活、地域社会生活などの大きな鍵は、山門の人生の教示「他人にはやさしく、自分には厳しく」ではないでしようか。

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浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺山門掲示の「他人にはやさしく自分には厳しく」》