84歳老いる雑感(75)   一生添い遂げられる夫婦でありたい

    昔から夫婦は一生添い遂げられたら幸せだと言われてきた。結婚は人生の一大事業とも言われてきた。

    現代はいとも簡単に離婚をするケースが多く見られる。中には熟年離婚、定年離婚などと言われるものも出てきた。とりわけ晩年の長年連れ添った夫婦が「離婚」の形をとって別れることほど、側から見ると他人事ながら勿体無い、惜しい、痛ましい、可哀想にと思うことがある。

 一生連れ添うことを誓って結婚した者同士が、一緒になって生活する中で離婚に至るには、いうに言われぬ様々な理由があるであろう。世間や他人は表向きのことでしか知る由もないが、実際の理由は当の本人同士でしか分からないものではなかろうか。

   そう思う背景には、人生の後半において新婚時のお互いの志や誓とは異なって、病気等でまだまだこれかというと言うときに、どちらかが先に逝ってしまう場合が多いということである。

 特に、60代後半や70代に入ってから連れ合いを亡くする夫婦に接する機会が多いだけに惜しまれてならない。人生の終盤において長年連れ添った伴侶を失うことほど残念無念なことはないからだ。これがが現実であり、如何ともし難い人生がそこにある。

    そこで定年後の人生は、出来れば離婚や死別がなく最後までお互いが添い遂げられたらと願望する。それを実現してくれるものは何であろうか。

 わたくしも縁あって結婚して、今や50年以上一緒に生活ができたことに感謝している。他人や自分たちを顧みたときに、長寿の現代にあって夫婦がそろって生きていけれることに感謝している。

❶   お互いに病気などの危機を乗り越え、健康を保つ

 70代、80代さらには上を目指すには、お互いが健康であることが必須である。その間、多くの人がどちらかが大病を患ったりするが、何とか危機を乗り越えられたら幸運である。現代医学の進歩による恩恵もあるが、この辺のところは運命としか言いようがないようだ。

   人間の身体は歳を重ねるにつれて、 節目節目で危機がやってくるものだ 。 どのように乗り越えるかは自分自身にあるように思えてならない。明快な答えはないが自分で作り上げるしかない。これだという有効打がないのが人生でもある。

❷     お互いが「持ちつもたれつ」主役と脇役を担う

    人間は自分が主役であると一生懸命に役割を果たすものである。家庭においては夫は威張っているように見えても、妻が財布を握りところが多い。人間社会では主役になる人がいれば、わき役に回る人がいて良好な関係が保たれるものだ。その関係は自然に出来上がるものである。昔から「亭主関白」、「かかぁ天下」これまた良しである。

 今どきの夫婦であっても同じではなかろうか。いろいろなタイプの夫婦があってよいが、両方が主役では人間生活のドラマはうまく進まないものである。ある事では夫が主役になり妻が助ける。一方、妻が主役で夫が助ける。俗にいう「持ちつ持たれつ」これを上手にこなす夫婦が円満に人生を歩むことが出来るのではなかろうか。

❸ お互いが「ありがとう」といつまでも感謝し合う

 人間には感情がある。喜怒哀楽がある。毎日が平穏無事や波風の立たない日ばかりでないが、これを乗り切る知恵を人間は持ち合わせている。それは「ありがとう」という

言葉である。

 この世の中で「ありがとう」の言葉ほど素晴らしい言葉はない。歳に関係なく人間関係においてお互いに「ありがとう」の感謝の気持ちがあるかどうかでうまくいくかどうかが決まる。とりわけ、高齢になればなるほど「ありがとう」の感謝の表現が大事になってくる。この世を去る時も「ありがとう」で尽きる。

 この世の中で歳を重ねるごとに何事にも感謝の念が強くなってくる。

わんぱくが家のそばの今日の夕方の田園風景

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《 しのぎやすい夕暮れであった。あっと驚くような絶景ではないが、昔懐かしい一番静かな田園風景が身近にあり、わが心を静めてくれる。》