山門の人生の教示   「人間嫌いをなおす簡単な方法がある それは他人の長所を見つけることだ」

 3月30日午前、夫婦で浜松市中央区神ケ谷町天龍山洞雲寺に詣でて、お墓参りをした。

 本日は、先妻の62年目の命日であり、みんな元気に暮らしていることを墓前に報告した。長い人生は波瀾万丈である。人生の終盤において、静かに、元気に毎日を送れることに感謝している。

 連日の強風で参道と墓地の通路に枝葉がかなり落ちていたので、約1時間ほどかけて清掃奉仕をした。

 山門の掲示は、「人間嫌いをなおす簡単な方法がある それは他人の長所を見つけることだ」とある。

 人間には他人に対する好き嫌いがある。誰しもそれが強いか弱いかの差である。しかし、社会は人間の集団であることから人間嫌いでは円満に人間社会を生きていけない。また、好むと好まざるに関わらず、社会は人間関係によって成り立っている。人間好き嫌いが激しくては良好な人間関係を維持することができないものだ。ましてや自分一人の社会生活など成り立たないものである。

 人間には誰でも長所と短所があるものだ。長短は表裏一体でもある。他人の良いところ、長所だけを見れば自分の人生が大きく変わってくる。

 他人の短所だけを見ていると、自ずと自分の短所が際立ってくるものである。まさに因果報応であるからだ。

 食べ物の好き嫌いが、長年の間に身体に大きな影響を及ぼす如く、激しい人間嫌いは、結局自分に跳ね返ってくるものである。表記の山門の言葉は、まさしく人生の教示ではなかろうか。

 人間は神様・仏様のようにいかない。聖人君子にはなれないものだ。

そのためには、

①  何事にも大らかになることである。

 自分にも、他人にも、お互いに長所 があり短所があるということを強く自覚し、硬くなな心から大らか心で暮らすことを心がけたいものである。

②  積極的に他人の長所だけを見る。

 人間の一面・短所だけを見ないで、積極的に長所だけを見ていくと、自然に人間嫌いから脱することができる。その阻害要因となるものは、執着心と偏狭心ではなかろうか。

 どうしても他人の短所が目に付くようであれば、他人の言動を見ないことである。積極的に他人の長所だけを見ると世界は変わり、新しい人生が開てくる。

 所詮、人間は自分心の持ちようで自分が変わり、他人が変わって見えるということではなかろうか。

❶ 山門の人生の教示

「人間嫌いをなおす簡単な方法がある それは他人の長所を見つけることだ」

❷ 天龍山洞雲寺本堂及び参道