昭和の航空自衛隊の思い出(374) 空幕人事第2班長職における精進と自省

1.空幕人事第2班長職における精進と自省  

 平成61年(1966)12月、空幕人事課人事第2班長に補職され、63年(1988)6月末まで務めた。空幕人事課人事第2班は、班長以下8名の陣容で、航空自衛隊全般の准空尉・空曹及び空士約3万7千名の人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等の業務を担当した。

 第1期操縦学生出身者であり、かつまた、部内幹部候補生出身者である小生が、空幕人事課人事第2班長へ補職され、1等空佐に任命されたことは、まさしく栄誉なことであった。その職責は極めて重く、十二分に職責を果たしているだろうかと常に自分に問いかけて毎日の勤務に励んでいた。

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《 昭和62年(1987)6月、夕方の空幕人事第2班室の状況、毎日次から次へと新しい課題に取り組んでいた。左から山下道朗事務官、石田敏晴3佐、班長濵田喜己2佐、桒原主税2佐、大堀健事務官 》

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 《平成63年(1988)1月、空幕人事課人事第班、左から、事務官安斎敬子、人事第2班長1佐濵田喜己、2佐桒原主税、准尉染谷忍、1曹髙橋栄二、2曹福田文紀、事務官山下道朗、事務官大堀健及び3佐石田敏晴 》

2.人事幹部へ転進した当時の胸に秘めた命題をどれだけ達成できたか

 昭和43年、要撃管制官から人事幹部へ転進した時、以下に述べるような決意、四つの命題を胸に秘めて、以来18年間、それぞれ与えられた職務で努力してきた。

 自衛官人生の最終段階にきて、空幕人事第2班長という准曹士人事の担当となり、長年胸に秘めた命題に最も関与できる立場になった今こそ仕上げの時期であり、精魂を込めて取り組むまなければならないと思った。

 この職務は、これから更に昇進していく経過ポストではなく、今まで培った識見技能と経験を全て発揮していく職務であると自覚していた。在任中はこうした意識のもとで毎日を過ごしたので、意欲・気力も充実し手ごたえを感じながら職務を遂行した。

 在任間に出来ることはかぎりがあることは承知しており、空自の任務達成に寄与することを主眼とし、将来いつの日か新しい芽を出す種をまきたいと着意して業務に当たった。

   総括してみると、人事幹部として胸に秘めた命題は、どれだけ達成できたかは問題ではなく、自分の取り組む明確な目標を持ち精進したことが、自衛官生活で自分を大きく成長させてくれた原動力であった。

   

 3.胸に秘めた四つの命題

 初めて総務人事班長になったころ自分に課した四つの命題とは、どんなものであったであろうか。

2015-04-20 昭和の航空自衛隊の思い出(131) 総務人事班長として、胸に秘めたの四つの命題

 

1.胸に秘めた四つの命題

 昭和43年12月中部航空警戒管制団整備補給群の郡本部総務人事班長となった。

(  その後、 昭和44年7月1尉に昇任し、翌45年1月から4月まで幹部学校の幹部普通課程を履修した。約1年6月勤務した後、45年5月基地業務群本部人事班長へ配置されることになる。)

 幹部自衛官として約7年の要撃管制官、副官の勤務経験を経ての総務人事班長の配置であり、将来とも人事幹部として進むのであれば、自分なりに大きな目標を胸に秘めて取り組んでみようと思った。

 それは、今後の航空自衛隊の発展充実に対応して「総務人事業務はどうあるべきか」、「空曹の役割と活躍の場はどうしたらよいか」、「離島等の勤務者の処遇と人事管理はどうしたらよいか」及び「青年隊員の服務指導はどうしたらよいか」の四つの課題・自分に課した命題であった。

2.自分に課した命題の背景

❶ 命題を課したきっかけ

 初の総務人事班長・人事幹部を進むにあたって、自分に命題を課したそのきっかけは、整備学校総務課で勤務した折、先任空曹福田正雄1曹が大先任として各部課隊の先任を掌握下におき、総務課長、総務班長の絶大な信任を得て幹部並みの大活躍する姿に接して、是非そのような幕僚になりたいと人事幹部としての将来像を描くに至った。その具体策を命題として自分に課したのである。

 実はこれは建設途上の航空自衛隊の大きな課題でもあり、階級的にも職務と権限のない一幹部の志ではあったが、その時代の自分のおかれた立場で定年退官に至るまで継続してこの命題に取り組むことになった。結果的にはこの大きな課題に向かって挑戦することによって自衛官生活が充実したものとなった。

❷ 命題設定の背景 

 命題設定の理由は、空士・空曹の経験をしたことで、若い隊員の心情を自分で体験したこと、内務班長を経験したことから時代の推移、意識・価値観、環境の変化等の中で内務班の運営・在り方、服務指導に関心を持ったこと、服務指導担当幹部として今後青年隊員の服務指導についてどう臨むべきか研究する必要があると考えたことにあった。

 陸自の経験、整備学校総務課や航空警戒管制部隊の最前線における勤務経験から、これだけ素質能力と意欲の高い空曹をどのように部隊等の中で位置付けて活用を図るべきかは将来に向けて大きな課題であると考えたこと、特に先任空曹の役割・地位などの向上策が今後の課題であると認識したこと、要撃管制官勤務を通じて離島等の勤務者の処遇と人事管理の改善を図るべきと思ったことなどであった。

❸ 部内幹候出身の役割

 当時の部内幹候出身者の経歴管理は、一般的に階級昇進はゆっくり型で、現場の部隊勤務が中心であったこと。年齢を重ね実務能力で部隊活動の中核となり、隊員の育成に貢献することができること、部隊等の状況をスミから隅まで熟知していることなどの特性・長所を持ち期待されていた。

 その上、警戒群本部の運用班長を経験してきたことからすべて部隊運用を中心とした物の考え方で、作戦運用担当幕僚と一緒になって幕僚活動を行うべきだと強く思っていた。総務人事といった枠にとどまらないで、部内幹候出身者の特性を活かして現場の部隊で施策をまとめ実行していきたいと思うようになった。

 3.命題に取り組むための地固め

❶ まず業務処理の練達に精進した

 当時は、部内幹候出身者が方面レベルの幕僚配置に登用されることは珍しかった。後年、チャンスに恵まれてあらゆる場面で人事幕僚として策案を提起することになった。

 総務人事班長として、自らの命題はじっと胸に秘めて、まず業務処理の練達に専念した。司令の理解と信頼を得てから逐次、策案を実行することを試みることにした。

   総務業務については、整備学校総務課で一通り経験した事が活きてきた。当時の総務班長と先任空曹の先見の明と配慮に深く感謝した。その上副官を経験してきたので特に困ることもなく、自信を持って円滑に業務を進めることができた。

 人事業務については、知識はあるが実務を行った経験はなかった。過去の報告書類を丹念に確認して大方の流れなどを理解した上、団司令部人事部に頻繁に足を運び教えを乞うた。時の人事部長は小木曽功2佐、人事班長森住八郎3佐(部外11期)、次いで太田瀧次郎3佐(部外13期)、曹士担当井手尾久1尉にはことのほかり懇切に指導をいただいたことが終生忘れられない。団司令部副官を務めたという経験と実績・信用がこれほどまでに活きてくるのかと感謝しつつ、人事管理の基本を大切にしながら自分なりに人事業務の改善向上を心掛けた。 

 問題意識をもって策案を考え試行

 総務人事班長という職務の新参にしては、2尉の古参から1尉となり、かなり年季が入ったような態度で精力的に業務に取り組んでいたように憶えている。初級幹部ではやれなかったことが、階級的にも職務上からもやろうと思えばやれる立場になっていた。 

 従って、自らが決めた命題に立ち向かう闘志に燃えていたので、精神的にも余裕があった。当然、業務の取り組みの視点もどちらかというと、総務業務の進め方を前任者や先輩たちのやってきたものをそのまま実行するといった踏襲型ではなく、幹部任官以来、部隊運用の立場から総務人事業務のを在り方を眺めてきてどうかべきかある程度の方向性をきめていたので、「もっと改善充実するところはないか」という姿勢で改善向上を目指した。この命題は定年退官するまで追い続けた。

 従って、総務・人事・訓練係空曹と周りの隊員は、従前とは少し業務処理などが異なり、毛色の変わった班長が来たと受け止めたのではないか思われる。その分相互に理解するよう努めた。