昭和の航空自衛隊の思い 出(270) おらが部隊のシンボルマ-ク(2) 西警団第13警戒群(高畑山)

1. おらが部隊のシンボルマ-ク  

 航空自衛隊のみならず、各自衛隊の部隊は特色のあるシンボルマ-クを制定している。昭和58年3月~60年8月まで2年半西部航空警戒管制団司令部人事部長として勤務した当時の隷下部隊のシンボルマ-クと現在公表されている部隊シンボルマ-クを比較してみたらデザインや色彩などほぼ同じであるよう見受けた。

 法規に基づき授けられる指揮権・指揮官・部隊を象徴する部隊旗と異なり、部隊・隊員の総意を結集して決めた部隊シンボルマ-クは部隊団結の象徴であり、常時広く愛用され、ジャンバ-等の胸部に着用していることが多かった。

 シンボルマ-クの制定とデザイン採用にあたっては、隊員から広く応募したりして、部隊の任務・機能と隊歴があらわされている。いったん制定したデザインと発想・考えは何十年を経過しても受け継がれているようだ。部隊の伝統をいかに大切にしているかがよく分かる。

 現職時代、どこの部隊を訪問しても司令部の玄関では隷下部隊のシンボルマ-クが展示されているのをよく見かけたものだ。

    西警団勤務当時のアルバム帳に隷下部隊のシンボルマ-クの制定の由来等が載った基地新聞「春日」の切り抜きが張られていた。どうしたことか一部が欠で全部隊が揃ってはいないのが残念であった。

 私の利用しているタンスの引き出しに、在職当時の各部隊のネクタイピンのほかに新品の西警団・シンボルマ-クの一部が袋に包んで保存されていた。30年以上タンスに眠っていたことになる。全部が刺繍のシンボルマ-クは写真で見るより実に良くできているのに驚くばかりである。自衛隊の部隊シンボルマ-クを収集しているマニアがいるくらいだからお宝の一つであろうか。

 

昭和時代の西部航空警戒管制団のレ-ダ-サイト

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2.西部航空警戒管制団の各部隊シンボルマ-クの昔と今

  第13警戒群のシンボルマ-ク

❶  昭和の時代(第13警戒群・高畑山分とん基地) 

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 《 昭和58年~60年当時の基地新聞「春日」の切り抜き 》

 第13警戒群(高畑山)といえば、群司令の佐藤久男2佐の温厚な人柄と丸顔が浮かぶ。隊員の表情が生き生きとしており、指揮統率ぶりと隊務運営は見事であった。地域の警察署等関係機関との連携も良好であったことが強く印象に残っている。

 

❷ 現在 (第13警戒群)

高畑山分屯基地

 

《 西警団ホームぺ-ジ出典 》

 

3.昭和の時代の 第13警戒群のシンボルマ-クの背景となった都井岬

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《 昭和59年ごろ 第13警戒群のシンボルマ-クの背景となった都井岬を訪れたことがある。都井岬に立って大海を眺めたことなどが思い出される。馬の放牧は季節の関係か見られなかったような記憶がある。》