昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。
前回と今回は、移動警戒隊の巻となり、数字の若い部隊から紹介することにします。
平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶ 第3移動警戒隊は、西部航空警戒管制団司令部人事部長の折、隷下部隊であり人事を担当したこと、同じ春日基地に所在したことから日常的に同隊のシンボル・マークに慣れ親しんできた。こうしたことから格別の愛着を感じてきた。
❷ 第4移動警戒隊は、空幕人事第2班長当時に部隊訪問したことがある。カンムリワシの構図が強く記憶に残ったことを覚えている。第5移動警戒隊(八雲)は、残念ながら部隊を訪れる機会がなかった。なお、北部航空警戒管制団ホ-ムベ-ジによると、第5移動警戒隊は昭和59年10月新設され、平成14年3月 整理されている。キタキツネが印象的であった。
昭和の時代 第3移動警戒隊 ( 春日)のシンボル・マ―ク
令和の時代 第3移動警戒隊 ( 春日) 出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ
昭和の時代 第4移動警戒隊 ( 那覇)のシンボル・マ―ク
令和の時代 史料なし
昭和の時代 第5移動警戒隊 ( 八雲)のシンボル・マーク