1 天寿と大往生
人として生を受けたからには、できれば90歳以上になって、「天寿を全うして」「眠るがごとく静かに息を引き取りたい」と思う。これがままならないのが人生というものであろうか。
「天寿」「大往生」という言葉を、国語辞典などによるといろいろな説明をしているが「天寿は、天から授けられた寿命」、「大往生は、苦しむこともなく安らかに息を引き取る」ことに集約できる。
戦後は80歳以上だと、長生きしたとの実感があったが、これからは、100歳時代の到来で、90歳以上の時代になってくるのであろうか。私の郷里鳥取や今住んでいる遠州地方では、90歳以上では天寿を全うしたとして、「寿」ののし袋に5円玉を入れて縁者にお配りする風習がある。そこまでき生きられれば、まさしく「天寿」というものであろう。
2 計算通りいかない寿命
人の命は計算通りいかないものだ。驚くほど早く亡くなる方があれば、百歳以上の方もある。自分より若い方が逝かれるともっと生きてほしかったと思うものである。今のの時代は、60代、70代での寿命は、もっと長生きをというのが実感ではなかろうか。
人間は自分を基準に他を推し量ったりするものである。83歳の両親の亡くなった歳を超えてみると感慨深いものがある。また、小学校・中学校、高校等の同級生、自衛隊時代の同期生・先輩後輩の訃報に接したり、毎日の新聞の訃報欄はもとより町内など身近に同世代の方がなくなられていくと寂しく感じるとともに、人の命は計算通りいかなくて、推し量れないものであることを強く感じる。
3 自分のことは自力でやる
今日、シニアクラブでは、集まりの最初に積極的にロコモ-ショントレ-ニングを取り入れて、日常生活の質的向上、健康管理に重点をおいて運営している。高齢期においては他人の助力なくして自分の力で日常生活を過ごせることが最高の喜びであろう。
人間は強いようで弱いものである。ついつい「甘え」が出てくるものだ。他人の力を借りたくなるものである。本当に他の助力を必要とするまでは、自分のことは自力でやるという固い決意と信念が必要となってくる。
天寿と大往生をされた方に共通するのは、最後の最後まで自分のことは自力でやると努力された方のように受け止めた。