87歳の雑感( 265)  矍鑠として90歳・卒寿の壁を越えられるか

1 浜松操学1期会も12名から4名となった

 航空自衛隊を定年退官してからはや33年になろうとしている。自衛官として在官年数は35年余であり、現役時代の年数に近づいできた。

 来年5月には、88歳・米寿を迎える。まさに人生の晩年と言える。振り返ると、光陰矢の如しである。

 平成時代の初頭、浜松在住の航空自衛隊操学1期の同期は12名であった。

 30年前から、退官後も毎年、浜松在住の同期生12名は、浜松駅近くの居酒屋へ定期的に集合して、杯を交わし、青春時代に返り、熱く語り合ったものである。

    それが長い歳月を重ねるにつれて、山口啓助君、伊藤邦男君、七条彰規君、松浦信君が逝ってしまった。それからコロナ禍前後から天野勝君、平山貞男君に次いで、今年は小林誠君と村田隆君が旅立ってしまった。

 それが今では、打井亮吉君、西山淳君、前川誓孝君と私の4名となってしまった。

2   地域の自治会長等経験者で最古参となった

 平成2年4月に航空自衛隊を定年退官し、浜松の地を終の住処とした。縁あって神原町に自宅を建設し、第2の人生を歩んだ。地域の活動では、自治会長・副会長・部長をしたり、シニアクラブの会長・副会長・会計をしたりした。

 町内の歴代の自治会長経験者である、井嶋隆司氏、井島睦次氏、桒原善明氏、東條省治氏、井嶋高氏、井嶋慎市氏、池谷二三男氏、澤井徳澄氏、山中豊和氏が既に永眠され、今年は、小澤登氏と原田忠俊氏が逝去された。

 高齢者社会となって、自治会長経験者の先輩たちが多くいたが、いつの間にやらあっという間に、 縣弘氏と私が長老格となってしまった。また、シニアクラブ会長経験者で最古参となってしまった。

 神原町は、昭和30年に誕生した古くて新しい町である。自治会長当時は「50年史」を編纂したり、「自治会だより」を創刊したりして、町内のことは全て承知していたが、わずか15、6年の間に新しい家が急増し、世帯主も新世代に交代し、顔見知りが段々と少なくなってきた。時の流れというものであろうか。

3  矍鑠( かくしやく)として90歳・卒寿の壁を越えられるか

 私の今の願望は、「矍鑠(かくしやく)として90歳・卒寿を迎えたい」ということである。実は90歳の城壁を乗り越えることは、口で言うほど容易ではなく、厳しい現実がある。

 地域の風習では、高齢者(90歳以上)が亡くなった場合に、葬儀に際しては、祝儀袋に「長寿」と記し、5円玉を入れて、参会者にお配りしている。

 長寿袋は、故人の「長寿」にあやかるように、ご縁(5円玉)を葬儀の時に花籠でまいた名残と言われている。そのことは、90歳以上生きるということは「長寿」であり、長寿がいかに難しいかということである。

    厚生労働所の発表によると、令和3年の男性の平均寿命は 81.47 年、女性の平均寿命は87.57年である。既に平均寿命を超えたが、健康で家族の世話にならず、自分のことは自分でできることを持続したいと願っている。

 私が関心を持ち、注目していることは、90歳以上を迎える者の割合とその後の生命力・生存率はどのくらいかということで調べてみた。

 平均寿命が延伸したことにより、生命表上の特定の年齢まで生存する割合も年々上がってきている。下図で見るごとく、2020年、男性は28.1%、女性は52.6%であり、高齢者社会といえども厳しい生存率であることを知る。

 こうしてみると、「人生100歳時代」が到来したとしても、生き生きとして、人間らしい生活ができる。自分の足で歩け、自分で服が着れて、自分で箸を持って食事ができる。トイレに行けて、風呂に入れて、パソコンに向かえて、スマホが使える生活が願望である。すべてを家族の世話になり、介護施設で過ごすだけの生活は望まない。

 このようなことから、自分の願望と現実の乖離に直面する。人生の最後は「ピンピンころり」となりたいが、人間の終末は理想通りにいかないところが悩ましいところである。

筆者   令和4年12月撮影