6月が始まった。早朝は隣町の浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺に墓参した。参道に落ち葉があったので報恩と感謝を込めて清掃もした。
今月の洞雲寺山門の掲示は、「 自分の問題として相手の立場を考える 」であった。
最初見て、なかなか含蓄のある言葉であると思った。あらゆる物事を考えたり、対処するときにどうしたら良いかと問いかけているからである。他人事として物事を捉えると、時として傍観者的な発想と対処に陥りやすいからである。
何事も「自分の問題として」捉えると、主体的に、真剣に取り組む、英知を絞る、全力を傾注する、責任を持つ、フォローアップすることになる。
さらに「相手の立場を考える」と、相手のおかれている状況を理解する、相手の身になる、相手の人格を尊重する、丁寧に、慎重かつ真剣に考え対処することになる。
そこから生まれるものは、相互の理解と信頼を生む、人間関係が良好となる。
今後お互いに協力支援する、明るいグループ・団体・社会に発展することにつながる。
人間は「感情の動物」の言われる如く、意思の持ち主である。また、生まれも育ちも異なり、世界観、人生観、価値観が異なるものだ。思想、信条と行動様式も異なるから、それを相互に認め合う事が必要ではなかろうか。
毎日の明るい、楽しい生活の基盤をなすものは、人と人との良好な関係によって成り立っていくものである。
何事も「自分の問題として相手の立場を考える」と人間関係が円滑となり、明るい明日へと進展するのではなかろうか。
❶ 天龍山洞雲寺山門の掲示 「 自分の問題として相手の立場を考える 」
令和5年6月1日 早朝撮影
❷ 天龍山洞雲寺の参道