山門の人生の教示  五穀実れば首(頭)垂れる

 昨日10月15日午前浜松市ケ谷町にある天龍山洞雲寺に墓参した。洞雲寺の本堂等の建設も完了し、来月は内覧会、寺位牌戻しなども行われる。

 山門の掲示は、「五穀実れば首垂れる」であった。実りの秋を迎えて五穀豊穣で稲穂は垂れてくる。人間の汗と努力、自然界の水、太陽、土壌、さらには稲そのものの地力によって立派に実をつけ、その重みで首(頭)が足れてくる。

 これと類似するものに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」がある。ネットで調べてみると、trans.bizさんの解説が最も心に響くものがあった。「立派な人ほど謙虚な姿勢となる。稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢であるという事を指すことわざである。

「頭を垂れる」という言葉自体に「相手に敬意を払って自分を謙る」という意味があるので、稲が立派に成長するに従って、稲穂の部分(稲が実を付けている部分)が垂れ下がってくる様子を、稲と稲穂を成長していく人間に例えています。」(出典trans.biz)

とある。

 自衛隊を定年退官して、自算会調査事務所に勤務した折、様々な関係先を訪問する機会があった。そこで共通するものは、威張ったりしないで丁寧に応対する方ほど立派な人物であり、総じて上位の職位にある方であったことを思い出した。

 腰の低い人、相手を尊重する人、威張らない人、いうなれば人間のできた人は、世間から尊敬されることになる。

五穀実れば首(頭)垂れる

f:id:y_hamada:20210123190958j:plain

天龍山洞雲寺の新築の本堂

f:id:y_hamada:20210123192003j:plain