ガンとの闘い( 67)  左腎盂がんによる腎臓の摘出から10年、膀胱がんによる施術から9年、異状なく経過し、検査診断により終了した

 3月29日午前受診、ガン発病から10年経過した。最近は、年2回の6ヶ月定期検査と診察を受診してきた。

 平成24年(2012年)12月.・77歳に左腎盂ガン、さらに25年(2013年)10月・78歳に膀胱がんになった。所定の手術を受けて以来、他への転移等の異常なく左腎臓摘出から10年、膀胱内施術から9年、今日に至っている。

 本日は、尿検査により特異事項なく、幸い元気に毎日を過ごしていることから今回の検査診察をもって終了(治癒)となった。

 この間、ガンとの闘いは長い道程であった。担当医には、「長い間ありがとうございました」と頭を下げて御礼のことばを述べた。帰りは、お世話になった病院を正面から眺め.「ありがとうございました」と別れを告げた。

 現在まで元気でいられる理由を、次のように考えている。

がんを二つも経験する元気回復し、 全く幸運中の幸運であった

 高齢期においてのがん発症の場合、多くが死亡に至るのを見聞してきた。また、幸い生きながらえても老体となって、社会生活が制約されることが多い。

 こうした実相からすると、まさに幸運中の幸運であったと言える。今日、日常生活で、何の不自由もなく元気に毎日を過ごしているからだ。

 若い時に航空自衛隊でジェットパイロットを志し、心身の錬磨に励んだこと、両親から強健な身体をもらった上に幸運中の幸運であったと思っている。

❷  「生かされた命」に感謝し、惜しむことなく活かすことにした

 がん発病前にみなさんの推挙により、シニアクラブ会長などの役目をおおせつかっていた。がん治療中、通院などで時たま、副会長に助けてもらうこともあったが、基本的に通常通りやるべきことをやり通した。

 「生かされた命」を惜しむことなく、やるべきことに使うという信念からであった。施術後も消極的にならず、積極的にやるべきことをやり遂げることに努めた。

 こうしているうちに、いつの間にやらガンが遠ざかって行ったように思える。人生一度きりであり、自分に与えられた使命・役割を果たすことに努めたのが良かったようだ。

❸  毎日をクヨクヨせず、明るく楽しく過ごした

 約10年間にわたって、ガンとの闘いに負けず、シニアクラブの世話係兼責任者として、先頭に立って前向きに取り組んできたのが心身の健康につながっていたように感じている。

 困難な課題にも、逃げることなく真正面から取り組んだ。率先垂範するには、自らが先頭で動くことが必須であることから、常に身体を動かすことに努めた。歳相応の身体になってきているが、無理をせず、コツコツと自己流の健康法と散歩などをしたのが良かった。

 また、生活全般にわたって、あまりクヨクヨしないで、楽天的に考えることにしてきた。毎日を明るく、楽しく過ごすことに努めてきた。それが良かったようだ。

❹  動けるうちは、できる範囲で地域社会に奉仕をする

 若い時代に国家防衛の任に就いて以来、自衛隊勤務を通じて自分に与えられた役割を全力で果たした。退官後の自動車保険料率算定会(保険料率算出機構)調査事務所、日本損害保険協会交通事故相談所、のほか、隊友会、県人会、同期会、自治会、花の会、シニアクラブなど自分の役割を果たすことに精進した。

 34年余の自衛隊勤務は、国家、国民を守ること、国家国民に奉仕することであった。その根底には、国を愛すること、地域を愛すること、家族を愛することである。その中核となるものは、「奉仕の心」を持って、活動を続けたことが良かった。

 したがって、今日においても、その延長線上にあり、たいしたことはできないが、身近な地域社会に自分のできる範囲で貢献をすることに努めている。結果的に、自主的な奉仕作業などが健康に繋がり、今日も元気でいられる源であると考えている。

   シニアクラブの諸活動へ積極的に参加した

 退官後は、勤務の後にスポーツジムに通い水泳や山登りに励んだ。年金生活となってからは、地域のシニアクラブの諸活動に参加した。

 特に、スポーツを中心としたロコモーション・トレーニング活動に積極的に参加した。グラウンドゴルフ、輪投げ、吹き矢、リアル野球盤、ポッチャ、カラオケ、数独など、週3回の活動日には指導員として活動したことは、心身の健康維持に大きく寄与したのではないかと思われる。

 お金はかからず、歩いて行けるところで、毎回のびのびと活動できたことが心身の健康維持に資するものがあったのではなかろうか。

❻  趣味の写真とブログをできるところまで持続し

 昔は、定年になると、よく「毎日が日曜日」でやることがないなどと言われたものであるが、今日までの実感としては、やりたいことがありすぎて、時間がもっと欲しいと思う毎日であった。

 趣味の写真では、楽しく撮影することに努めてきた。作品作りは、RAW画像を処理するのに結構な時間を要している。外出するときには必ずカメラを携帯して、これはという対象があるとシヤッターを押してきた。誘われると、被写体を探してどこにでも出かけたことが、健康維持に大きく影響したように感じている。

 ブログも毎日徒然の思いを書くことに努めてきた。振り返ると.予想もしなかったガンの発症が発端であった。すべての広告等を排除して、自主独立を保つため、有料のブログを維持してきた。自分史であり、徒然の記である。

 今後の進路

若い人の邪魔をない、老害とならないように努める

 がんとの闘いは本日をもって終了したが、これからも今までの生き方、生活や健康管理を続けることにしている。そのほかで気を付けたいと思っていることは、老害とならないように努めることである。

 歳を重ねるに連れて、知らず知らずに若い人の前進を阻んだりするものである。高齢期になると経験をもとに口を挟む傾向が出てくるものだ。

 若い時から、創設期と建設期の航空自衛隊で、常に前進、創造、改善向上の世界で育ってきた。後輩たちが乗り越えて新しい世界を創り出すことが歓迎される時代を経験し思い切り活動することができた。

 しかし、世の中全部がそうとは言えない現実がある。物の見方考え方や価値観などさまざまである。むしろ進歩発展を阻む世界もある。

 すでに社会活動の第一線から退いて久しいが、時には、年寄りが頑固一徹で、進歩発展の阻害要因となることもある。俗にいう老害である。自分が気づかないで老害の人になっていることがあるものだ。常に自らを顧みることに心がけたいと思っている。協力支援することはあっても、反対したりすることはしないで見守ることに心掛けてきた。

 地域社会等の諸団体の活動においても、後輩たちが更なる発展充実する様子に接すると心から嬉しい。こうした心がけが、心を広げ、輪を広げ明るく元気に過ごすことにつながると思っている。

筆者の最近の近影