元自衛官の時想(133)   原爆の日と長兄の被ばくに寄せて

 今朝は4時過ぎにトイレで目覚めた。外を眺めると、青空に雲がたなびき夜明け前なのに茜に染まっていた。そこで散歩を兼ねて自宅周辺から夜明けの空を探訪することにした。朝日が昇ってくる頃、ふと反対側の空を見たら虹が少し上がっていた。特に雨が降っているようには見えなかったが天空における光の世界の不思議さを見た。

 今日は、76年前の昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が米軍機から投下された「原爆の日」である。一発の原子爆弾で十数万人もの尊い命が奪われ、広島は一瞬にして焦土と化した。

 本日は、広島市中区平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。平和祈念式典の模様及び平和宣言、子供代表の「平和への誓い」の朗読、菅内閣総理大臣のあいさつ、国連事務総長メッセ-ジ内容を新聞テレビで承知した。原爆慰霊碑の石室に奉納記帳された死没者総数は328,929人になったと報じられた。犠牲になられた御霊の平安をお祈りするとともに核兵器のない世界平和を望求するものである。

 「原爆の日」に想起するのは被爆者となった大正3年生まれの長兄のことである。今は亡き長兄は、当時31歳で広島の連隊で軍務に服していた。当日は連隊から離れた場所で部隊行動中に被ばくした。連隊を含めて焦土と化し帰る場所がないため、数日後の夜、鳥取のわが家に命からがらたどり着いた。私は10歳であり、当夜の長兄の背中は大やけどで真っ赤にただれていた状況を今でも忘れない。倉吉の厚生病院で手当てを受け、村役場の兵事係の指示に従い数日後に広島の原隊へ復帰していった。日本の敗戦後故郷へ帰ってきたことを覚えている。その後、家業の農業を営み、4男1女の立派な父親として昭和62年1月2日73歳で永眠した。

 平和祈念式典で被爆国日本としては、平和への決意を新たにすることは必要である。世界における核兵器の削減、破棄、廃絶は誰しもが望むことであるが、現実の世界は厳しい。理想と現実のはざまにあって核軍縮は遅々とて進まない現実がある。世界の軍事情勢を見ると理想とは程遠い冷徹な世界が存在しているのが現実である。現実を踏まえて核軍縮、破棄、廃絶に向かって進まなければならない。

 世界は核大国、核保有国に牛耳られている。主導権を持って存在している。そのためには、わが国が全てにわたって政治、経済産業、科学技術、軍事などで強い国にならなければならない。核大国、保有国をリードする国力・実力と覚悟なくして理想を実現することはできない。

 核絶滅という高い理想や願望を達成するにはどうしたらよいであろうか。核大国、核保有国をリードする強い国になるという国民の決意と努力が欠けているところを是正、解決しないと核大国、核保有国をリードすることができないのである。宣言や誓いの言葉の中に一歩進めて強い国になり、核廃絶を進める世界をリ-ドすることばがないのが惜しまれ寂しかった。わが国の弱点がここにありこれが是正が求められる。これなくして世界の平和に寄与することはできないのである。

❶ 夜明けと虹  令和3年8月6日 05:11ごろ撮影

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❷ 原爆ド-ㇺ  テレビ映像の撮影

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