85歳老いる雑感(117) 車なし生活の引き際のタイミング

 感謝を込めて愛車を送り出す

 昨日午前、長い間お世話になった愛車ホンダライフが引き取られていった。今朝は3回丁寧に車の隅々まで清掃して送り出した。ありがとうと感謝して送り出したかったからである。一回のエンジン不調もなく快音であった。運転中に故障したこともなかった。

 普段はあまり清掃したことがないのに、最後はきれいにしたから妻は驚いていた。よく働いてくれたので愛着もあり、名残惜しい気がした。

❷  自慢のターボ付きの山登り

 ホンダライフは、軽自動車ではあるが、ターボを付けて山登りにどこへでもいけるようにした。馬力が増しどんな坂道でも楽に登れたものである。

 地域の自治会活動を終えて、これまで十分にできなかった山登りをやろうと意気込んだが、花の会活動、さらにはシニアクラブの活動、その上がんを患ったりして、山登りには活用できなかったのが心残りであった。

❸   車の活用により円滑な諸活動

 山登りには利用できなかったが、その分公私にわたる諸活動において最大活用した。車の活用により行動範囲の拡大、迅速な行動性、機動性、便利性を発揮して、団体代表者としての役目を十二分に果たすことができた。

 そうした点では、車があったことが、職務遂行に寄与するところ大であったように思う。まさにお陰様であった。

❹  車と一体となった生活と家族の心配

 長年にわたって、足代わりとして車生活にどっぷりと浸かっていると、車が生活と一体となり、高齢期になっても、これが当たり前のこととなり、特別なきっかけがないと車を止める決心はつかないものである。

 車社会になって、高齢者の車の運転と重大事故の多発問題が提起されるようになった。高齢期に入って、心身の低下から家族が危険だからと勝手に車を処分したり、強制的にキイを取り上げるといった話は、身近でしばしば見聞してきたものである。昨今の高齢者の交通事故は重大化しつつあり、家族の心配も増すものである。

 交通戦争と言われる時代だけに、交通事故はいつ起きても不思議でないほどの時代である。車のことで家族に心配をかけないこと、迷惑をかけないこと、爽やかな晩年を迎えたいと努めてきた。この度、最良のタイミングで運転免許証を返納し、車を止めることができたように思う。

❺ 周囲への車の停止と運転免許証返納宣言

 自分がその年齢に達したら、自らの意思で車を止める時期を決断しようと考えていた。こうしたことから自分の心身の推移の状況から、1年後の来年3月末には運転免許を返納すると宣言してきた。

 自らと周囲に車を止める時期を宣言して環境整備をしてきた。心の納得と全ての準備をしてきた。いつでも止まられる体制づくりが出来上がっていた。

❻   いつの時期に車の運転を止めるか

 いつ車なしの生活に移行するか、そのタイミングは実に難しい。未練なくキッパリと運転免許証を返納して、車を運転しない生活への切り替えは「言うは易く行いは難し」の如く難しいものである。

 心身の状況は、自分が一番よくわかっている。イヤイヤながら身内や他人から車の運転を止めるよう強要されるより、絶好の潮時をとらえて、タイミングよく、自らの決断と固い意志で運転を止め、免許証を自主返納することができた。これも家族の理解協力があったからである。

 何よりも世間でよく話題になる高齢者が加害者となる重大事故を生起して、晩節を汚すことがなかったことが幸いであった。終わり良ければすべて良しである。